平成28年度第7回のアソシア志友館「おもしろ学校」が12月21日(水)19時 00分~20時30分に「ウインクあいち」を会場に開催されました。
第7回の講師は岩倉市立岩倉東小学校の三浦光俊先生。テーマは「詩を味わう ~何のために生きるのか~」でした。
20161221omoshirohoukoku01 まず、今日話し合いをする3~5人のグループで、握手して自己紹介をしました。
次に、三浦先生が詩を音読しました。

スクリーンに「鹿」の詩が映し出されました。この詩をプリントの四角の中に書き写してください。 その後、起立して2回詩を音読しました。
「鹿」  村野四郎鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして
問題づくり

問題を作ってください。疑問とか、この問題を解くとこの詩がぐっと深くわかるとか言った問題を考えて、プリントに箇条書きにして書いてください。
グループで問題を出し合って考えます。右前の人から、自分が一番良いと思った問題を出して、グループで話し合ってください。10分ほどグループで話し合いました。
20160921omoshirohoukoku03 登場人物
その後、三浦先生の出す問題を話し合いました。まずはじめは登場人物です。
この作品に登場する人・動物をあげてください。
・鹿
・鹿と彼は同じかどうかで意見が分かれましたが、「彼は すんなり立って」「彼の棲家である」の彼は鹿じゃないとおかしいということで彼は鹿として話を進めることになりました。
・猟師(ハンター)
・話者(作者ではなく、作者の設定したこの文章を語っている人物を話者と言います。)
鹿の年齢はどのぐらいか。子ども、青年、壮年、老年どの意見にも手が上がりました。

位置
鹿とハンターと話者の位置関係を図に表してください。
20160921omoshirohoukoku04 写真のような意見が出ました。
話者が鹿と同じだという意見や、話者はハンターと同じだという意見も出ました。

話者の視点
話者は鹿の心に入り込んでいるのか、外から見ているのか。
入り込んでいるといないほぼ半数ぐらいに分かれました。
入り込んでいる
・「どうすることができただろう」というところがあり、これは鹿の心に入り込んでいないとわからないと思います。
・「彼は知っていた」とあるので彼の心に入り込んでいないとわからない。
入り込んでいない
・鹿の心は鹿にしかわからないと冷静に見つめていると思います。
話者の視点は移動している
・鹿に入り込んでいるところと、客観的にみているところがある。
20160921omoshirohoukoku05 言葉の検討
「すんなり立って」とあるが、「すんなり」ってどんな感じですか。
・すなお
・すべて受け入れた
・そのまま
・力んでいない
・素直にすっと立っている

鹿の心情
「彼は すんなり立って 村の方を見ていた」とあるが、このとき何を考えているのか。
・楽しい人生だった。村の方と書いてあるから。森の方だと、家族とかをおいていくという後悔が感じられる。
・何も考えていない。自然の動物のあり方は、人間にはない何もないのかなと思う。
・潔さ。鹿の中に潔さを見つけたのは、話者自身であり、話者が鹿の中に潔さをみたのだと思う。
・村の方には明かりがついている。森は暗く光がなくなっていく。村の明かりは光そのもの。生きる時間が黄金のように光るとあるが、光が鹿の寿命そのものを表していて、光がなくなったときが鹿の命がなくなるときだと思う。
20160921omoshirohoukoku06 話者の思い
話者が「黄金のように光る」と表現した思いは何か。
・自分の人生の終わりを意識することで、人生が輝くものになる。
・森には自分の大切な仲間がいて、ハンターという危険が迫り、自分が犠牲になって仲間を守るという姿を現していると思いました。
・黄金は朽ちない永遠のもの。時間は一瞬のもの。一瞬のものを永遠のものとしたという姿。
・話者が鹿を人間に置き換えて言っていると思いました。先の見えた鹿を自分の人生に置き換えて、生きていくことのすばらしさを黄金にたとえている。
・鹿は自分を置き換えているもの。森のはずれは自分の人生が終わりに近いということを表している。そこに立って、自分の小さい額がねらわれている、死ぬことがわかっている、どうすることもできない、そこでもう自分の人生を受け入れて、村の方つまり自分の生きてきた時間をみてみると、黄金の時間のようだった。彼の棲家であるというのは巣に帰るというような意味なのかな。大きな森の夜を背景にして、自分が死ぬことがわかってふりかえってみると宝物のようだったなと思っている。
・棲家は鹿の命の象徴のような場所で、それが森にあるということは、森は命を表すものであるのだが、大きい森の夜は死も同時に表している。生と死を同時に持っているものが森であり、生と死の一瞬の狭間があり、「森のはずれ」という言葉がまさにそれを表している。そこには生と死の狭間、二つが交錯するものが描かれている。「生きる時間が黄金のように光る」というのは、鹿の生きる時間もあるけれども、話者の生きる時間もある。僕は話者はハンターだと思っていますが、鹿の生きる時間は今一瞬で奪われてしまうけれど、ハンターである話者は鹿の命を奪うことで生きることができる。その命の一瞬の狭間が光り輝く時間だと思いました。
20160921omoshirohoukoku07 自分の読み、今の思い
話者が感じている鹿の生き方から、自分が読み取ったこと、今考えていることを書いてください。・自分が生きていく上で、自分の感情や考え方が正しいと決めつけられないことの再確認になりました。人の数だけ想いがある。
・人生のはかなさ。限られた時間の大切さをもっと考えながら生きていきたい。
・あらゆる鹿(人間)は「黄金のように光る」存在である。一人が経験してきた人生の尊さを今一度認め合い、評価したいものである。
・「死」を意識したとき、自分はどのような行動を取るであろうか?話者は、最初はすんなりと「死」を受け入れてはいたが、時間の経過とともに「光」輝く思い出、家族などを思い出し未練が出てきたと思う。私は、「黄金のように光る」という一節から話者の涙を想像した。
・人はいつか死が訪れます。その時に自分がどう死と向き合うことができるのだろうか。逃げ出さずに現実逃避をしないで、その事実に直面し向き合うことができるのだろうか。そのためにも、毎日毎日を楽しんで生きていきたい。今日が最期だと思っていきたい。今を生きたい。あれこれ考えずに生きていきたいと思いました。
・死を覚悟したとき、これまでの人生をふりかえり、光り輝く人生を送ることができたことへの感謝を家族に伝えたい。自分の命いっぱいを使い果たす人生を送りたい。
日々の何気ない日常、当たり前にあること、過ごしてきたこと、また喜びや悲しみ、淋しさ、全て煩悩を含め、いいことだと思っていたこともいやだと思っていたことも、それ全てが命の体験であり、貴い時間である。瞬間であるその間を生きる。時間を輝かせて生きる!