10月29日(金)に、6月11日(金)から延期していた令和3年度の第2回おもしろ学校を振替開催しました。

講師は、岩倉北小学校の高橋宏滋先生です。
国語でテーマは「母を想う」でした。
斎藤茂吉の短歌集「赤光」の中から、いくつかの短歌を取り上げて授業が行われました。
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20211029omoshiro_image2初めに、短歌集の中から、先生の記憶に残っている大好きな短歌が紹介されました。

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
「心の中で3回読んでみましょう。」と指示が出ました。
「普通だと声に出して読みますが、斎藤茂吉はあえて心で聞く、目で読んで心で聞く、そうしないと本当の意味が分からないと言っています。だから今日は心で読んでもらいました。」と説明がありました。

20211029omoshiro_image3 人、物、場所、時に分けて、読む時の視点が示されました。
視点に注目しながら、「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の短歌を読んで、気づいたことや思ったこと、分からなかったことや不思議だなと思ったことを、どんどん、箇条書きで短くていいので、できるだけたくさん書くように言われました。自分の意見を書いてから、隣の人と相談した後、順番に発表しました。

「登場人物は、母と作者」
「物で、かえる」
「しんしんという言葉から、とても静か」
「時は、夜」
「かはづとあるので、季節は夏だと思うけど、しんしんという言葉から、雪が積もる様子を感じるのでこんがらかってしまう」
「場所は、田舎で、周りは田んぼの一軒家」
「静寂、聞こえてくるのはかえるの声ぐらい」
「かえるの合唱が、お坊さんのお経のよう」
「母親が死にかけていて、かはづが鳴いていて、その声が天に聞こえて、天に召されていくような感じがする」
「普通では聞こえないかはづの声が聞こえるくらい静か」
「亡くなる母親は高齢で80歳を超えている」
「昔だから母親は50歳くらいで、息子は20歳くらい」
「遠田というのは、距離だけでなく時間的にも遠く感じる。自分が子どもの頃、お母さんと田んぼの近くで過ごしたことを思い出している」
「遠田」は、斎藤茂吉の造語なので、距離だけでなく時間的にも遠いイメージを作っているかもしれないと説明がありました。
「添い寝までしている。母親を溺愛しているようだ」


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たくさんの意見を聞いて、まだよく分からないこと、自分とは解釈が違うこと、言葉の意味が分からないことなどについて、近くの人と話し合った後に発表しました。
「初夏のかえるはうるさいくらい鳴くのに、しんしんということだと初夏でないかもしれない」

「しんしんという言葉が気になるということですが、何がしんしんとしているんでしょうか?」
「夜が更けていっている様子」
「静けさ」
「命」
「深い母親への愛情」
「親族が寝静まった後の二人だけの空間」

「静かだけど聞こえてくるのは何ですか?」
「かはづの声」
「母の呼吸」

20211029omoshiro_image5 「かはづは何匹くらいいるのでしょうか?」
「たくさんいる」
「100匹くらいいる」
「一匹。低い声で鳴くかえる」
「一匹でか細く、母の命が消えそうな声が天に聞こえている」
「しんしんと聞こえるんだから一匹」
「幼い頃、添い寝してもらっていて窓の外から聞こえてきたかえるの声と今がリンクしている」

「距離だけでなく時間的な遠さがあって、幼い頃のたくさん鳴いていたイメージが重なってくる、すごい発見ですね」
「かはづの声が天からの声に聞こえる。天からのセレモニーの音楽に聞こえる」

「たくさんのかえると一人の母の対比が強調されています。かえるは、生命力の象徴として描かれることが多いです。一匹でも、二、三匹でも、そういう少ない世界でも読みが成立します。感性の問題です。いろいろな読みができるすてきな短歌です」

 

20211029omoshiro_image6「赤光」の中から、もう一つ短歌が紹介されました。
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり
「玄鳥というのは、つばめのことです。屋梁は、家の横の太い木のことです。足乳ねは、母の枕詞です。声に出さずに3回読んでみましょう。」
「この短歌を読んで、何か変だな、おかしいな。よく分からないなというところはありませんか?」
「二羽のつばめと母が亡くなることと関係があるのかな」

「斎藤茂吉は、自分の短歌は、写生だと言っている。見たままを書いているので、つばめは二羽いました」
「つばめが来たときに母が亡くなったんだね」

「納得できたんですか?まだ納得できないことがあります」
「のどの赤いつばめは幼鳥で、何とか生きようとしている。つばめと母の対比がえがかれている。疑問にはなっいませんが」

「茂吉はどこから見ていますか?」
「下から屋梁を見ている」

「お母さんはどこにいますか?」
「お母さんは布団で寝ています」
「命の力強さを幼鳥から感じていますが、母は死を迎えています。時間的ずれがあってもおかしくありません」
「見たままをそのまま書いたわけではありません。心の中に浮かんだ情景をそのまま書いています。この場面を超越的に見ている自分がいます。その視点から書いているということが分かります。上を見ている自分と下を見ている自分が分離しているわけではなく、その情景を超越的に見ている自分がいます。いろいろな仕掛けがあるかもしれません」

 

20211029omoshiro_image7「赤光」の中から、8つの短歌が紹介されました。お母さんの亡くなった場面を、「死にたまふ母」という59首のまとまりで表現されています。59首は、ほぼ時系列で並べられています。

「59首の中から、自分がとてもいいなと思うものを8首選んであります。バラバラにしてしまった8首を元に戻してください」
① 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
②  笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに
③  星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
④  みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞいそぐなりけり
⑤  山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ
⑥  ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ
⑦  わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
⑧  のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり

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周りの人と話し合った後、発表しました。

「④②①⑤⑥⑧⑦③」
「④②⑤⑥①⑦③⑧」
「④②⑤⑥①⑧⑦③」
「④②⑥⑤①⑧⑦③」
「②④⑥①⑧⑦③⑤」

20211029omoshiro_image9「『死にたまふ母』は4つの場面に分かれています。4つのまとまりから2首ずつ選んであります。もう一度考えてみましょう。」

周りの人と話し合った後、発表しました。
「④②①⑧⑦③⑤⑥」
「④②⑤①⑦③⑥⑧」

「②の『尋ねん』というのはどういう意味ですか?」
「訪れる」

「他にはありませんか?」
「聞く」

「母をたずねて三千里とどういう意味ですか?」
「母をさがしもとめる」

「②の『母を尋ねんわれならなくに』は、母をさがしもとめてしまう、そんなことする自分じゃないのにとなりますが、お母さんは?」

「もう亡くなっている。②は最後に入る」

「⑥は、広葉樹の葉が風に揺れている。光が差し込んだり、遮られたりしている。何か不穏な感じがして何となく落ち着いた気持ちでいられない様子を表している。お母さんは、亡くなる前か、後かどちらですか?」
「亡くなる前。⑥は初めに入る」

「危篤という知らせを受ける。それだけでは詳しいことは分からない。落ち着かない気持ちで慌てて駅へ行って列車に乗る。④と⑥では、どちらが先ですか。」
「⑥」

20211029omoshiro_image10「お母さんを看取っているのは?」
「①と⑧」

「お母さんを荼毘にふすところは?」
「⑦と③」

「残ったのは②と⑤だけど、どちらが先?②か⑤は、59首をしめくくる最後の短歌になります」
「そうなると⑤が最後の短歌だと思います」

「この会の結論としてどうなりますか?答え合わせをしてください」
「⑥④①⑧⑦③②⑤」

「8首の中で、どの短歌が一番心に残りましたか?」
「④番。一目見ん一目みんという強調が心に残った」
「②番。とにかく印象に残った」
「②番。あまりにもせつない」
「⑤番。繰り返しが印象的」
「②番。われならなくにというところが印象に残った」
「⑤番。涙が止まらない」
「④番。母親のことを思い出した」

感想を紹介します。
○8つの短歌を時系列に並び替えるのは難しかったけれど、とても面白かったです。予想とまったく違っていて、皆さんの意見を聴く度に考えが揺れました。4つの時期に分けられるということが分かった時、一気に考えがまとまり、正解に近づくことができました。納得できる答えにたどり着くことができて良かったです。

○皆さんの発想豊かな意見を聞かせていただいて、とても驚く授業でした。発想の転換は、他の人の話を聞くことで生まれるものですね。

○70の古希を迎える中で、母のことを題材に1時間たっぷり味わうことができ、貴重な時間を過ごせました。先生の格調の高い授業に敬服しました。

○1つ1つの短歌から茂吉の母への切ない想い、深い愛、悲しみを感じ取ることができました。

○学生の時に感動した斎藤茂吉の「赤光」、赤のイメージ、母を想う気持ち等、今日は深く読み取れて良かったです。

○とても楽しかったです。新しい発見もあり、先生の授業をまた受けてみたいと思いました。「赤光」を読んでみたいと思いました。

○会場で参加できなくて残念でしたが、ZOOMで参加させていただくことができてありがたかったです。久しぶりに皆さんにお目にかかれたようで、自然と笑顔になりました。今日の授業も、歌を読めば読むほど、深いと思いました。皆さんの意見や考えをうかがうと、自分の頭の中が更新されていくワクワクがあり、感動の時間でした。