平成27年度第4回の「アソシア志友館おもしろ学校」が9月2日(水)19時 00分〜20時30分に「ウインクあいち」を会場に開催されました。

第4回の講師は江南市立布袋小学校の土井謙次先生。
社会の授業で、テーマは「いいつあよたまみの通知表Ⅱ −時代を超える巨視眼を持つ男−」でした。
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はじめに「いいつあよたまみ」の復習です。
これは江戸時代を学習するときに教科書に出てくる人物の頭文字です。
い−家康
い−家光
つ−綱吉
あ−新井白石
よ−吉宗
た−田沼意次
ま−松平定信
み−水野忠邦
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隣同士の2人でじゃんけんをしてこの8人を言い合いました。
今回の中心人物は田沼意次です。
まず、意次に通知表をつけると?ということで5段階評価をしました。
このような分布になりました。
5−1人 4−15人 3−18人 2−11人 1−1人
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意次の時代には賄賂がはびこり、一部の商人が大もうけをしたという悪い評価が一般的ですが、本当に意次は三大悪人の1人に数えられるような悪人だったのでしょうか?
年表を元に意次の人生を振り返っていきました。
まず、吉宗の行った享保の改革とはどんな改革だったのでしょうか。
年貢の取り立ての割合を三公七民から五公五民とし、出来高に関係ない定免法で財政を安定させました。

そして、農民の生活は苦しくなりました。
しかし、実は苦しくなったのは農民ばかりでなく武士も貧しくなったのです。
なぜかと言えば、武士の取り分は米の量で決まっています。
市中に米が出回れば、米の値段は下がります。米の値段が下がれば、武士の収入は減り、生活は苦しくなるのです。
それに対して商人はどんどん儲かります。
下級武士の出身の意次はこの様子を見て育ちます。
苦しくなった農民の一揆が各地で起こります。その中でも大きかったのは郡上一揆でした。
この郡上一揆の審理に当たったのが意次でした。
意次は責任をとらせて相良藩の本田忠央を蟄居させ、新領主になります。

新領主として意次は次のようなことをしました。

  • 道幅を広げ、東海道までの街道を作る
  • 桑を植え養蚕を奨励
  • 塩の生産
  • 瓦の生産を勧め、屋根を瓦に
  • 飢饉対策として50日分の米を与える
  • 湊を整備し、中継基地とする

地元では高い評価をされています。

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その後、意次は側用人から老中となり幕府の改革に取りかかり、次のようなことをしました。
新領主として意次は次のようなことをしました。

  • 商人に営業許可証を発行、営業税を徴収→商業が盛んになり、幕府の収入が増える
  • 輸出主導の積極的な海外貿易−いりこ、フカヒレ、本アワビなどを輸出
  • 新田開発−印旛沼干拓−民間活力の導入
  • 貨幣制度の一元化−金と銀の交換レートを決めた
  • 蝦夷地開発−ロシアの進出を恐れる→意次のおかげで北海道は日本

幕府の収入が増え、世の中が安定するような政策に取り組んでいます。
意次の改革が成功し、続いていれば明治維新はなかったかもしれません。

しかし、身内、実力者を登用したため譜代、親藩大名が反感を持つことになりました。
中でも、松平定信は意次を批判し、わいろのうわさを広めます。これが後々の意次の評価となってしまいます。
また浅間山噴火などの天災や飢饉に見舞われるという不運も舞い込みました。
賄賂の記述は意次在任以降の文献ばかりで、しかも定信の関係者のものばかりという最近の調査結果もあります。
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定信は意次のせいで将軍になれなかったと思い込み逆恨みをしていたのではと考えられます。
定信のしたことは、歌舞音曲芸術の禁止、隠密を使った田沼関係のデマ宣伝、新規書籍の発行禁止、自己に反対するものの処刑などスターリンと一緒です。
一方、意次がしたことは明治維新の新政府がしたことと重なります。
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意次の巨視眼はどうやって生まれたか?
土井先生はその理由として、次のことをあげました。

  • 貧しい武士の暮らし、華やかな商人の暮らしを知っていた。
  • 町人を側室にするなど、身分差別の発想がない
  • 平賀源内、杉田玄白などの開明的知識人との交友があった
  • 海外の情報を収集していた
  • 吉宗の発想を学んだ

ここでもう一度意次の評価をしました。
5−1→たくさん 4−15→22 3−18→6 2−11→1 1−1→0
と変化しました。

意次の話はここまでで、次は現代の話にうつりました。
戦後を象徴する人物はだれですか?と問われたら誰と答えますか?
NHKの調査では田中角栄が1位に数えられました。
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では、角栄はどんなことをしたのでしょうか?

  • 日本列島改造論
  • 道路整備費の財源等に関する臨時措置法(道路特定財源)→道路費用が15年で100倍以上に
  • 70歳以上の医療費無料化
  • 年金の給付水準の引き上げ
  • 日中国交回復
  • 平和主義で寛容
  • 教育改革−教員の給料を上げる

改革が順調に進み始めたとき、オイルショックが起きます。
角栄は石油は日本の生命線と考え、アラブよりの外交を展開します。
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親ユダヤから脱退−イスラエルの敵を応援する気か
フランスの濃縮ウランを購入−日本の核はアメリカの管理下にあるべきだ
結果、アメリカのご機嫌を損ね、ロッキード事件によって失脚させられます。
田中角栄も田沼意次同様、将来を見通す巨視眼を持った政治家だったといえます。
では、角栄の巨視眼はどうやって生まれたか?

  • 雪国新潟での苦労
  • 何倍もの努力とバイタリティ
  • 幅広い人脈
  • 人間的魅力
  • アメリカ一辺倒でないバランス感覚
  • たぐいまれな記憶力

最後に土井先生は問いかけました。田沼意次と田中角栄の共通点は?

  • 低い身分、小学校卒というハンディ
  • 浅間山の噴火、オイルショックという天災
  • 積極経済
  • 金にまつわる噂
  • 二人を徹底して貶めた後任がクリーン派

まとめて、「歴史は勝者が造る」
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参加者の感想を紹介します。
  • 北海道が日本なのは田沼意次のおかげ!びっくりしました。
    その他にも、財政を立て直すために設定した制度が今の日本の制度のもとになっていたことにびっくりしました。
    明治維新は田沼意次がそのまま政治を担っていたら、また歴史は変わっていたと思うと、悪いイメージのある田沼意次はやはり不運にあったものの天才政治家であったのだと認めることができました。
    歴史は勝者がつくる…偉人もたくさんの不運、苦労を乗り越えて、それでも裏に操作されて失脚して…。彼らも普通の人間だと思いました。ですが、素晴らしい巨視眼をもっています。
    言葉に表せませんが、勇気をもらえました。明日から新たに頑張っていけそうです。

  • 正しいと思われていた歴史的解釈が後に出る史料により、違った解釈になることから真実を見極めることは難しいと思った。
    情報を鵜呑みにせず、両方、両立場の情報をニュートラルな立場で当たること、また、感性を磨くことが大事であると考えた。
    スケールの大きい話、そして歴史は繰り返すということにロマンを覚えた。
    また、歴史は人としての生き方や世の中の仕組み(現代)にも活用できることと確認。
    ありがとうございました。

  • 様々な環境の中で正解はなく、自分が信じた道を進んできた結果、他の人から落とし込められた。
    これは、他の人でも同じような結果(他人に押さえられる)があるだろう。すべてが万人にうけるものなどないと思う。
    ということは、良質な賛同する仲間をどれだけ増やすかということにつきるのではないだろうか。
    そこに努力、人間的魅力、人格が不可欠であると思いました。