5月20日(金)に令和4年度の第1回のおもしろ学校を行いました。
講師は岐阜聖徳学園大学の山田貞二先生です。
道徳「『いのち』の授業をゲスト道徳で」でした。
ゲストティーチャーは、膵腎同時移植をされた加藤みゆき先生です。
初めに、山田先生からゲスト道徳の良さについて説明がありました。
「道徳の授業は、普通は、先生がいて子どもたちとやりとりをします。教材の中には、自然とか命を扱ったものとか畏敬の念等、子どもの生活から遠い世界のものがあるので、そういう時にゲストに来ていただくことによって、ゲストが実感できるリアリティーを運んでくれるのです。今日この後で、加藤さんと一緒に授業を行います。ゲスト道徳がどのようなものか見てください。先生一人で授業するよりも、何十倍も何百倍も深く考えることができます。会場とZOOMの方と一緒に考えていきたいと思います。」
いよいよゲストティーチャーの加藤さんの登場です。
山田先生の最初の質問です。
「加藤さんを初めて見た人が多いと思います。加藤さんの第一印象を聞いてみたいと思います。」
「お母さん感がすごい。」
「すごく優しそうで話しやすそう。」
「大人の雰囲気が漂よいながら、目で顔全体の笑顔が伝わるようなすてきな方です。」
「笑顔がすてきで、すごく元気がもらえる。」
「明るい感じで、笑顔がすてきです。」
「声に力があって、パワフルで元気がもらえます。」
「明るくて、パワフルな加藤さんと授業をしていきます。」
「今日のテーマは『つなぐ』~移植から~です。」
「移植からと書いてあるので皆さんだいたい分かると思いますが、加藤さんは実は小学校4年生の時にインフルエンザになりました。糖尿病、慢性腎不全にもなって透析に苦しんでみえました。普通の道徳は本を読んで終わってしまいますが、ゲスト道徳は本人に語ってもらえるという良さがあります。」
「加藤さんに病気になられた時のことを語ってもらいます。」
「3時間くらい」
「5時間くらい」
「半日かかる」
「いい線行っていますね。加藤さん、どのくらいですか。」
「いつまでこういう生活が続くのかという不安な気持ちになります。」
「自分は大病になったことがなく、病気になったときに前向きになれるか不安です。加藤さんがどうやって前向きな気持ちを持つことができたのかと考えていました。」
「日々透析に行くのは受け入れられないと思います。」
「透析は憂鬱で、家族のことも心配になったと思います。」
「加藤さんに聞いてみたいと思います。日常生活は苦しいですか。一言で言えないと思いますが、皆さんに教えてあげてください。」
「20年前に2か月入院して、死ぬこともあるかなとか、子どもが小さいのになと思いました。病院で外を見ていて、車のライトを見るだけで苦しくなったことが思いだされました。」
「死ぬことまでは考えていませんでしたが、死んだら楽になるなと思ったことはありました。」
「家庭でゴタゴタがあって、死んだほうが楽かなと思ったことはありました。」
「中2の時に、家庭の事情で死にたいと思ったことがありました。」
「加藤さんは、そういうところから移植をされました。2003年に移植の登録をして、2010年に腎臓と膵臓を脳死の人から移植をしました。子どもたちには、臓器提供意思表示カードを見せた後に、移植とは何かわからないので、移植というのはということで、図を見せて、人が亡くなった時に、内臓を病気で困っている人に移すことだよという話をしています。」
「加藤さん、移植をして生活が変わりましたか。」
「いろいろできるようになっても、他の人と比べると不便だなと思うことがあったんじゃないかな。」
「生活が変わって元気になったけど、移植を受けた側なので、亡くなった人のことを考えたんじゃないかな。」
「自分はよくなったけど、自分だけでいいのかなと思ったんじゃないかな。」
「移植をして、喜んではいけないんでしょうか?」
「喜んでもいいけど、亡くなった方も含めて、家族のことを気にしてしまうと思う。」
「せっかくいただいた命なので、喜べばよい。」
「できないことができるようになれば、感動するのは普通かなと思う。」
「喜ばないのも提供してくれた人に申し訳ないと思う。」
「家族のことを考えると、一緒に喜んであげてもよいと思う。」
「加藤さんが言われた幸せでないという表現は、本心ではないと思う。表現の仕方が違うのではと思います。ぼくは幸せだと思います。僕の例を出すと、腎臓も膀胱もありません。手術をし命をいただいて、今闘病している最中ですが、すごく加藤さんの気持ちが分かります。私は全くおしっこが出ません。出る喜びは分かるし、糖尿病でこれだけ苦しんでいて、移植手術が成功したというのはすばらしいことで、ドナーの方にも感謝したいし、自分が今生きていて支えていただいている人に対しては感謝の気持ちでいっぱいだけれども、自分自身は副作用のことが心配だったり、ドナーの人や家族はどうだったんだろうかとか、この後、自分がそれに見合うだけの生き方をどうしなければいけないかと考えたりしたんだと思います。幸せだけれども、幸せではないと言われたのは、そこまで大っぴらに喜ぶことは自分では表現できないんですよ、分かってねという気持ちじゃないと思います。」
「幸せじゃないと言われた思いを皆さんに伝えてもらってもいいですか。」
「日本では、臓器の提供者を教えてくれませんが、ぼくは教えてほしい。彼女の中で自分の子どもがまだ生きていると思えてならない。自分の身内が移植した人の中で生きていることが分かることはうれしいことだと思う。」
「同じ経験の人で、同じ悩みを持った人と話せるとちょっと乗り越えられると思います。家族にとって自分は死んだ方が皆が幸せになれるという気持ちになったことを考えると、家族のために生きようと思ったと思います。」
「いろいろな方へのありがとうの気持ちを示すことで乗り越えることができたと思います。」
「講演をすることでバランスを保っていたと思います。」
「喜ばれた家族や友だちなどの身近な人の思いを受けとめたんだと思う。」
「生かされていることへの感謝、人にできにない体験をされたので、その体験を伝えていく、それが自分のできることかなと思われた。」
「悩んだり苦しんだりされたと思う。その先に、人の役に立とう、人のために生きようと決めたんだと思う。」
「生かされたということで、自分の道、使命ができたんじやないかと想像します。」
「亡くなった人の分まで生きよう決められて、生きているからこそ、その人からの思いをきっちりだれかに送っていこうと決断されたと思いました。」
「申し訳ないというか、自分だけ幸せでいいのかという気持ちがあったけれど、だからこそ逆にもっと長生きしないといけないとか、自分が元気でいることがその人にとっても幸せになるんじやないかなという気持ちになったと思います。」
「感謝の気持ちがあり、生きている喜びを実感していると思います。加藤さんは、自分の生き方をすごく考え、社会にどう貢献していったらいいのだろうかとか、生きることの大切さを他の人にも伝えていきたいとか、生きるって何だろうということを、健康になっていけばいくほど自分の生きる意義って何だろうと考えるようになってきたのではないかと思います。それがゲストティーチャーによんでいただいたりだとか、生徒に伝えたりする行動につながっていって、心が素直になっていったんじやないかと感じました。」
「最初は、自分が生かされて不幸にしてしまった罪ほろぼしで生きていろいろやっているうちに、いろいろな人と知り合って意見をもらったり、講演で感謝の声をもらったりして、その中でようやくこういう生き方があると見いだしていって、今の幸せに結びついたと思います。」
「加藤さん自身はどうやって乗り越えたのか教えてください。」
びっくりしましたが、お忙しい中参加された移植医療のドクターの方々は、ドナーさんの家族に対して敬意をはらっていて、参加費を払って参加されています。そこで、感謝のスピーチをさせていただきました。私が話し終わった壇上に、たくさんのドナーファミリーさんが駆け寄って来てくれたんです。そして言われた言葉がありました。「もらってくれてありがとう」びっくりしました。いえ、とんでもない。私が助けていただいてありがとうございますです。また、他の家族の方がおっしゃいました。「あなたが元気だとうれしいよ」また、別の家族の方がおっしゃってくださいました。「ずっと元気でいてね」そこで初めてドナーファミリーさんは、移植を受けた患者が元気だということを喜んでくださるんだということを教えてもらいました。きっと、見ず知らずの人が元気よりも、ご家族が元気でいてほしかっただろうにといろいろなことを考えましたが、私にそう言ってくださったことで肩の荷がおりました。
中学校の同級生にお坊さんがいて、そのお坊さんに愚痴ったことがあります。皆がよかった、よかったと言ってくれるけど、よくないよね。だってどこかの誰かが亡くなっていて、悲しんでいる家族がいるのに、そうしたらそのお坊さんに言われました。ドナーさんは残念だけど、そこで亡くなるご縁だったんだよ。あなたが臓器をもらったこととは関係ないよ。そこで亡くなるご縁だったんだからね。そのご家族が最後に誰かの役に立ってほしいと言ってみえるのを新聞で読みました。移植は珍しいので、ドナーファミリーのコメントが新聞に載っていて、夫に新聞を取っておくように頼んでおいて、退院して読みました。そしたら私の臓器のご家族は、最後に誰かのためになってほしいとコメントを出されていました。最後に誰かの役に立ってほしい思ってご家族が提供したんだから、もらった臓器が私の役に立つこと、私が元気でいることが、そのご家族の願いをかなえている。だから、ご家族はあなたにありがとうと思っている。そう言われて、そうか、お坊さんに言われて初めてドナーさんが亡くなったのは私のせいではないと思えました。それまでは私のせいだと思っていました。ドナーファミリーの言葉とお坊さんの言葉で、だったら私が元気に楽しく精一杯生きることが、最大の恩返しなんだと思うことができるようになりました。
「すごく難しいです。2人分生きている感じがするので、分かってもよいかなと思います。」
「迷いますが、知りたいと思います。」
「加藤さん、どうして日本ではドナーの名前を教えないのか、皆さんに教えてください。」
「自分の祖父のことを思い出しながら聞いていました、祖父は認知症で、いろいろな検査をしたり、透析をしたりしています。おまえが結婚するまで生きると言ってくれます。言っている言葉の意味の強み、思いの強さ、生きることの大事さを別の角度から感じた授業でした。」
「こうして自分に置き換えていく。こうやって授業を受けてくれると本当にうれしいです。自分の生き方を振り返ってくるんですね。」
「つなぐというのは、人と人の間をつなぐこと。コロナだからよけい感じます。亡くなった方のことを自分の中でしっかりとらえて、自分はどう生きていくのか考えて行動しないといけないと思いました。」
「ゲストティーチャーに話してもらえて本当によく分かった。」
「母親が脳死の状態になったが、当時は臓器移植がなかった。母親がドナーとなっていたら、幸せになっていたと思います。」
「物事の深み、単純ではないできごとを考察したり、みんなで話し合ったりしていきたい。」
「日頃は、生きることを考えるだけですごいことだと思います。自分が一生懸命生きることだけではなくて、移植ということを通して、生かされているということを改めて深く問い直すことができた授業ではなかったかなと思います。感謝をしたいと思います。ドナーさんの立場では、役に立ってくれてありがとうという感謝の気持ちであり、分からないドナーさんに対して、分かりたい気持ちはあるんですけど、私の命をつないでくれてありがとうという感謝の気持ちでもあるという内容がよく分かりました。自分が一生懸命生きることが社会への感謝であり、人への感謝であり、自分の周りの人への感謝の気持ちの表現かなと改めて強く思いました。」
「最後に加藤さんからメッセージをもらいたいと思います。」
○移植を受ける側だけじやなくて、ドナーさんにも人生があり、簡単にお互いの人生を受け入れられる訳ではないことを知って移植の難しさを感じました。「ただ生きる」ということがこれほど単純ではないんだと知ることができたとても深い授業でした。
○実体験のお話はとても深く心に響きました。とてもプライベートなことをお話してくださって本当にありがとうございます。ドナーさんや移植を受けた方、様々なお立場の人への気持ちへ思いをめぐらす貴重な機会になりました。臓器をいただくという分かりやすいカタチではなくても、私たちは祖先から命を受け継いでいるのだなと思いました。
○自分には縁がなかった分野だったので、興味深く話を聞くことができました。ただ、本日の内容だけで知った気にならず、今後はより知識を深めていければと思います。
○移植はこれまで他人事でした。今日の授業でこんな大変なことなんだと思いました。言葉が出ないくらいでした。
○私は普段、勉強会やセミナーなどの催しにはあまり参加をしないんですが、今回の山田先生の授業は、とても奥深くて、正解のない問題を先生と受講生で考え合うという、なかなかの体験できない貴重な授業でした。
○今日は最初から胸の詰まる思いをしながら授業に参加しました。私自身、若いうちに身内を亡くしたこともあり、本当に自分自身、生きながらえてよかったのかという思いが今でも頭をよぎることがあります。それとオーバーラップしました。
○今回は、「いのち」を「つなぐ」、臓器移植について考える授業でした。移植する前には、死も考えたけれど移植して体は元気になった。しかし、幸せではなかった。会う人会う人が元気になってよかったと言ってくれても、自分は誰かの不幸(死)の上に、自分の幸せがあることが許せなかったという気持ちは分かる気がする。しかし、それを乗り越えるきっかけになったのが、ドナーファミリーや医療関係者の前でした感謝のスピーチ。ドナーファミリーから言われた「もらっくれてありがとう。」「あなたが元気にいてくれてうれしい。」という言葉だった。命とは何か、自分にできることは何か、使命とは何かを深く考えることができました。
○本当にすばらしい授業でした。感動でした、涙が出るほどのお話でした、言葉で書けないほど深く考察できた学びの多い授業でした。