5月20日(金)に令和4年度の第1回のおもしろ学校を行いました。
講師は岐阜聖徳学園大学の山田貞二先生です。
道徳「『いのち』の授業をゲスト道徳で」でした。
ゲストティーチャーは、膵腎同時移植をされた加藤みゆき先生です。

20220520omoshiro_image1初めに、山田先生からゲスト道徳の良さについて説明がありました。
「道徳の授業は、普通は、先生がいて子どもたちとやりとりをします。教材の中には、自然とか命を扱ったものとか畏敬の念等、子どもの生活から遠い世界のものがあるので、そういう時にゲストに来ていただくことによって、ゲストが実感できるリアリティーを運んでくれるのです。今日この後で、加藤さんと一緒に授業を行います。ゲスト道徳がどのようなものか見てください。先生一人で授業するよりも、何十倍も何百倍も深く考えることができます。会場とZOOMの方と一緒に考えていきたいと思います。」

20220520omoshiro_image2いよいよゲストティーチャーの加藤さんの登場です。
山田先生の最初の質問です。
「加藤さんを初めて見た人が多いと思います。加藤さんの第一印象を聞いてみたいと思います。」
「お母さん感がすごい。」
「すごく優しそうで話しやすそう。」
「大人の雰囲気が漂よいながら、目で顔全体の笑顔が伝わるようなすてきな方です。」
「笑顔がすてきで、すごく元気がもらえる。」
「明るい感じで、笑顔がすてきです。」
「声に力があって、パワフルで元気がもらえます。」

20220520omoshiro_image3「明るくて、パワフルな加藤さんと授業をしていきます。」
「今日のテーマは『つなぐ』~移植から~です。」
「移植からと書いてあるので皆さんだいたい分かると思いますが、加藤さんは実は小学校4年生の時にインフルエンザになりました。糖尿病、慢性腎不全にもなって透析に苦しんでみえました。普通の道徳は本を読んで終わってしまいますが、ゲスト道徳は本人に語ってもらえるという良さがあります。」

「加藤さんに病気になられた時のことを語ってもらいます。」

小学校4年生の時に、お友達とスケートに行って楽しんで帰ってきました。そしたら次の日から熱が出て、昭和46年生まれですが、その当時はあまりインフルエンザとは言われていませんでした。近所の町医者へ行くと風邪ですと言われ、薬を出してもらいました。治るのに一週間くらいかかりました。41度くらい熱がでましたが、一応治りました。しかし、その後、私は子どもなのであまりだるいとかいうことは気づいていませんでしたが、親が言うにはいつもだったら学校からただいまと帰ってくると、ランドセルをパーと投げて遊びに行く子が、ソファーでごろごろしていたらしいです。父が仕事で忙しくて私の顔を見る生活ではなくて、私が寝たら帰ってきて、私が起きる前に出かけていました。すごく久しぶりに私の顔を見た時に何かおかしいと思ったそうです。何か顔が違う。これはおかしいと思ったそうです。母は毎日見ていたのであまり気づいていなかったんですけど、ちょっと大きい病院に連れて行けということになり、総合病院へ行ったら、一発でⅠ型糖尿病だと分かり、インスリン注射を一生打たないといけないと言われて、その場で入院しました。その時私は、普通の子だったら、一生治らない病気だったら死んだ方がましと悲しむと思います。私の場合は、明日遠足で、行けないことが悲しすぎて、病院のベッドで泣いて、明日遠足に行けない、300円で買ったお菓子を退院したら食べるので隠しておいてくれと言っていました。お菓子は弟に食べられてしまいました。その時は、病気自体にはショックを受けませんでした。
「その時はですね。透析という病気は、水分との戦いです。ジュースを飲むとか、おトイレのこととかいろいろありますよね。ちょっと話しにくいこともあると思いますが、どんなことが苦しいのか教えてください。」
透析は、皆さんもご存じかもしれませんが、腎臓がだめになるとおしっこが出ません。だからにおしっこで外に出すはずの余分な水分と毒素が体の中にたまってしまいます。じゃあどうしたらよいかというと(腕を見せて)私の場合は人工血管ですけどすごく太い血管が入っています。体の中の血液をここから外に出して機械できれいにして戻すのが透析です。この時、毒素と一緒に余分な水も抜きます。皆さんが病院で採血する時にチクッとして、ちょびっと血が出ますが、あんなものでは体中の血はきれいにできません。動脈を手術して、動脈を表在化して表に出します。動脈は切れたら死んでしまうような大切なものなので、体の中心を走っているんですが、それを透析のために、針の刺しやすいところにもってくることがシャントで、それを使って体中の血をきれいにしてから戻すのが透析です。急に毒素を抜いたり、水分を抜いたりします。体にとってはとってもしんどいです。
20220520omoshiro_image4「皆さんは、透析がどのくらい時間がかかるかご存じですか。近くの方と相談してみてください。」
「3時間くらい」
「5時間くらい」
「半日かかる」
「いい線行っていますね。加藤さん、どのくらいですか。」
個人差がありますが、私の場合は5時間くらいです。ただ、透析の前に病院へ行って準備をしないといけません。針を刺してから5時間です。5時間後に針を抜いてから動脈血ですから止血が大変です。止血のための時間と着替えの時間を入れるとほぼ半日病院にいました。
「週に何回でしたか。」
「週に3回でした。」
「週に3回、5時間の透析、ほぼ半日つぶれる生活をいつから送っていたんですか。」
「30歳の時からです。」
「それまでは透析しなくてもよかったんですか。」
それまではインスリン注射だけだったんですけど、妊娠出産の時に、腎臓が一気にな悪くなりました。
「それから透析することになったんですね。透析しないといけなくなると、飲みたいものを飲めないとか出てきますよね。なぜ飲んではいけないんですか。」
1日に500㏄に制限されるんですが、米とか野菜にも他の食事にも水分がメチャメチャ入っています。普通に鍋を食べると一食で1㎏増えてしまいます。その水分を透析で抜かないといけないので、多ければ多いほど血液量も増えていって心臓にも負担がかかり、体がしんどくなります。それを防ぐために、水分をとるのを減らして、透析で抜く水分の量を減らすんです。
「腎臓が悪くなるとおしっこが出ません、汗も出ません、人工で出さないといけなくなります。飲みたいものも飲めません。こういう病気になって、加藤さんは30歳から5時間透析をやっています。どんな思いで透析と向き合ってきたのか、考えてもらいたいと思います。ゲスト道徳は、まず考えてからゲストに語ってもらいます。」

20220520omoshiro_image5「いつまでこういう生活が続くのかという不安な気持ちになります。」
「自分は大病になったことがなく、病気になったときに前向きになれるか不安です。加藤さんがどうやって前向きな気持ちを持つことができたのかと考えていました。」
「日々透析に行くのは受け入れられないと思います。」
「透析は憂鬱で、家族のことも心配になったと思います。」

「加藤さんに聞いてみたいと思います。日常生活は苦しいですか。一言で言えないと思いますが、皆さんに教えてあげてください。」
最初は、透析しないと生きていけないのでしていました。同じ病気の人でも個人差があります。Ⅰ型の人でも元気に透析しながら働いていらっしゃる人もいます。私の場合は、合併症がたくさん出てしまって、透析だけだったら多分耐えられたんですが、シャント、人工血管がつまるので、毎月つまりを取る手術をしていたり、足が感染症の壊疽、感染症の薬が効かない耐性を示す黄色ブドウ球菌が怪我をしていないのにいきなり2株ついて、足を切断しないといけなくなったりしました。その時、運が良くてよい先生が診てくださって、足が壊疽になった時、息子が小学校の2年生だったんですが、若い加藤さんの足は切りたくないと言ってくださいました。右足だったんですが、また熱を41度出していました。薬でやっつけられない菌が全身を回って熱を出していました。本当だったら足を切断したら私の命は助かります。足はあきらめないといけませんが、ただこの先生はまだ子どもの小さい私に、足を切断するとその後の余命が15年縮まる。だから足を切りたくない。粘らせてくれないかと言ってくださいました。3年いろいろな治療をしていただいて、治してくださったので、今足がついていて、行きたいところへどこでも行けるんですが、この3年の間、家族の世話にならないといけませんでした。車いすに乗っている時は、トイレへ行くときも夫に連れて行ってもらわないといけません。足がすごく痛くて、消毒になると逃げだしたくなるほどでした。息子が小学校5年生の時、透析で取り切れなかった毒素というか余分なものが、指にたまって手も合併症になって、手が痛くて動かなくなりました。自分で歯も磨けない。顔も洗えない。頭も洗えない。じゃあだれがする?夫です。小学生の息子の面倒をみられないどころか自分の面倒もみられませんでした。包丁も持てないので、料理も作ることができません。何のために生きているんだろう、当分治らない病気なのでいつまで続くんだろう、私が死んだら皆が幸せになると思いました。夫も若いので、健康な奥さんがもらえるんじゃないか、息子にはお母さん病気だからごめんねと言ってありましたが兄弟ができるんじゃないか、私が死んだら皆が幸せになるじゃんと思いました。
「どんどんネガティブになっいきますよね。世話にならないといけないとか、何のために生きているんだろうか、皆さんは死について考えたことはありますか。死んだほうが皆が幸せになるんじゃないかと、小学校では聞きませんが、皆さんは大人なので死ぬということについて考えてみたいと思います。自分が死ぬことについて、死んだ方がいいんじゃないかとか考えたことはありますか。人生経験のある大人なので聞いてみたいと思います。」

「20年前に2か月入院して、死ぬこともあるかなとか、子どもが小さいのになと思いました。病院で外を見ていて、車のライトを見るだけで苦しくなったことが思いだされました。」
「死ぬことまでは考えていませんでしたが、死んだら楽になるなと思ったことはありました。」
「家庭でゴタゴタがあって、死んだほうが楽かなと思ったことはありました。」
「中2の時に、家庭の事情で死にたいと思ったことがありました。」

「加藤さんは、そういうところから移植をされました。2003年に移植の登録をして、2010年に腎臓と膵臓を脳死の人から移植をしました。子どもたちには、臓器提供意思表示カードを見せた後に、移植とは何かわからないので、移植というのはということで、図を見せて、人が亡くなった時に、内臓を病気で困っている人に移すことだよという話をしています。」

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「加藤さん、移植をして生活が変わりましたか。」
臓器ってすごいなと思いました。日一日とみるみる元気になっていくことを感じました。パワーがあふれるようでした。当然おしっこが出るわけです。トイレに行くとおしっこが出る。とてもうれしくて声を上げて喜びました。中1の息子にバカじゃないのと言われるほどでした。
「加藤さんは、移植をしてもらって当然幸せでしたよね。おしっこも出たし。」
幸せじゃなかったです。
20220520omoshiro_image7「おしっこも出たし、ジュースも飲めますよ。」
飲めます。いっぱい飲めます。
「幸せじゃなかったの」
幸せではありませんでした。
「おしっこが出たのになぜ加藤さんは幸せではないのか、近くの方と相談してみてください。」

「いろいろできるようになっても、他の人と比べると不便だなと思うことがあったんじゃないかな。」
「生活が変わって元気になったけど、移植を受けた側なので、亡くなった人のことを考えたんじゃないかな。」

「自分はよくなったけど、自分だけでいいのかなと思ったんじゃないかな。」

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「移植をして、喜んではいけないんでしょうか?」

「喜んでもいいけど、亡くなった方も含めて、家族のことを気にしてしまうと思う。」
「せっかくいただいた命なので、喜べばよい。」
「できないことができるようになれば、感動するのは普通かなと思う。」
「喜ばないのも提供してくれた人に申し訳ないと思う。」
「家族のことを考えると、一緒に喜んであげてもよいと思う。」
「加藤さんが言われた幸せでないという表現は、本心ではないと思う。表現の仕方が違うのではと思います。ぼくは幸せだと思います。僕の例を出すと、腎臓も膀胱もありません。手術をし命をいただいて、今闘病している最中ですが、すごく加藤さんの気持ちが分かります。私は全くおしっこが出ません。出る喜びは分かるし、糖尿病でこれだけ苦しんでいて、移植手術が成功したというのはすばらしいことで、ドナーの方にも感謝したいし、自分が今生きていて支えていただいている人に対しては感謝の気持ちでいっぱいだけれども、自分自身は副作用のことが心配だったり、ドナーの人や家族はどうだったんだろうかとか、この後、自分がそれに見合うだけの生き方をどうしなければいけないかと考えたりしたんだと思います。幸せだけれども、幸せではないと言われたのは、そこまで大っぴらに喜ぶことは自分では表現できないんですよ、分かってねという気持ちじゃないと思います。」

「幸せじゃないと言われた思いを皆さんに伝えてもらってもいいですか。」
その時の私は、入院中で、ICUを出た段階からみるみる元気になっていったんで、親戚とか来ていただいた時に100%言われたのが、顔色がぜんぜん違う、見るからに違う、よかったね。よかったね、会う人会う人みんなが言ってくれました。私はよかったとは思えませんでした。だってだれかが亡くなって、その人の大切な家族が悲しんでいるのに、よかったなんて言えない、どんどん元気になっていく私の幸せが、だれかどこかで起こった不幸とその家族の悲しみの上にバタッと乗っかって、踏んづけて、足げにして、その方の不幸の上に私の幸せがあると思えて、とてもじゃないがよかったと思えませんでした。元気になればなるほど、自分のせいでドナーさんが死んだんじやないか、私の幸せのために死んだんじやないかという思いがぬぐえませんでした。
「 健康になったときは幸せだった?」
そうですね。
「人の死の上に自分の幸せがあることが許せなかった?」
みるみる元気になる体に心がついていけませんでした。
「自分だけが幸せになるという感覚がありましたか?」
そうですね。自分だけが幸せになるのは、申し訳なかったです。
「という思いがあって、手ばなしで幸せと言えなかったんですね。」
言えませんでした。
20220520omoshiro_image9「加藤さんは、今は幸せだと言われます。どうやって乗り越えたんでしょうか?近くの人と相談してみてください。」

「日本では、臓器の提供者を教えてくれませんが、ぼくは教えてほしい。彼女の中で自分の子どもがまだ生きていると思えてならない。自分の身内が移植した人の中で生きていることが分かることはうれしいことだと思う。」
「同じ経験の人で、同じ悩みを持った人と話せるとちょっと乗り越えられると思います。家族にとって自分は死んだ方が皆が幸せになれるという気持ちになったことを考えると、家族のために生きようと思ったと思います。」
「いろいろな方へのありがとうの気持ちを示すことで乗り越えることができたと思います。」
「講演をすることでバランスを保っていたと思います。」
「喜ばれた家族や友だちなどの身近な人の思いを受けとめたんだと思う。」
「生かされていることへの感謝、人にできにない体験をされたので、その体験を伝えていく、それが自分のできることかなと思われた。」
「悩んだり苦しんだりされたと思う。その先に、人の役に立とう、人のために生きようと決めたんだと思う。」
「生かされたということで、自分の道、使命ができたんじやないかと想像します。」
「亡くなった人の分まで生きよう決められて、生きているからこそ、その人からの思いをきっちりだれかに送っていこうと決断されたと思いました。」
「申し訳ないというか、自分だけ幸せでいいのかという気持ちがあったけれど、だからこそ逆にもっと長生きしないといけないとか、自分が元気でいることがその人にとっても幸せになるんじやないかなという気持ちになったと思います。」
「感謝の気持ちがあり、生きている喜びを実感していると思います。加藤さんは、自分の生き方をすごく考え、社会にどう貢献していったらいいのだろうかとか、生きることの大切さを他の人にも伝えていきたいとか、生きるって何だろうということを、健康になっていけばいくほど自分の生きる意義って何だろうと考えるようになってきたのではないかと思います。それがゲストティーチャーによんでいただいたりだとか、生徒に伝えたりする行動につながっていって、心が素直になっていったんじやないかと感じました。」
「最初は、自分が生かされて不幸にしてしまった罪ほろぼしで生きていろいろやっているうちに、いろいろな人と知り合って意見をもらったり、講演で感謝の声をもらったりして、その中でようやくこういう生き方があると見いだしていって、今の幸せに結びついたと思います。」

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「加藤さん自身はどうやって乗り越えたのか教えてください。」
移植をしてちょうど9か月たった時に、ドナー慰霊祭があって、移植者をレシペントと言いますが、レシペントを代表して感謝のスピーチをしてほしいと依頼を受けました。今はコロナでやっていませんが、覚王山の日泰寺で一年に一回ドナー慰霊祭があって、そこに来る人は、会場には300人くらい来ていたんですけど、まず私のように移植で元気になった人、ドナーファミリー、そして移植医療の関係者の方々でした。
びっくりしましたが、お忙しい中参加された移植医療のドクターの方々は、ドナーさんの家族に対して敬意をはらっていて、参加費を払って参加されています。そこで、感謝のスピーチをさせていただきました。私が話し終わった壇上に、たくさんのドナーファミリーさんが駆け寄って来てくれたんです。そして言われた言葉がありました。「もらってくれてありがとう」びっくりしました。いえ、とんでもない。私が助けていただいてありがとうございますです。また、他の家族の方がおっしゃいました。「あなたが元気だとうれしいよ」また、別の家族の方がおっしゃってくださいました。「ずっと元気でいてね」そこで初めてドナーファミリーさんは、移植を受けた患者が元気だということを喜んでくださるんだということを教えてもらいました。きっと、見ず知らずの人が元気よりも、ご家族が元気でいてほしかっただろうにといろいろなことを考えましたが、私にそう言ってくださったことで肩の荷がおりました。
中学校の同級生にお坊さんがいて、そのお坊さんに愚痴ったことがあります。皆がよかった、よかったと言ってくれるけど、よくないよね。だってどこかの誰かが亡くなっていて、悲しんでいる家族がいるのに、そうしたらそのお坊さんに言われました。ドナーさんは残念だけど、そこで亡くなるご縁だったんだよ。あなたが臓器をもらったこととは関係ないよ。そこで亡くなるご縁だったんだからね。そのご家族が最後に誰かの役に立ってほしいと言ってみえるのを新聞で読みました。移植は珍しいので、ドナーファミリーのコメントが新聞に載っていて、夫に新聞を取っておくように頼んでおいて、退院して読みました。そしたら私の臓器のご家族は、最後に誰かのためになってほしいとコメントを出されていました。最後に誰かの役に立ってほしい思ってご家族が提供したんだから、もらった臓器が私の役に立つこと、私が元気でいることが、そのご家族の願いをかなえている。だから、ご家族はあなたにありがとうと思っている。そう言われて、そうか、お坊さんに言われて初めてドナーさんが亡くなったのは私のせいではないと思えました。それまでは私のせいだと思っていました。ドナーファミリーの言葉とお坊さんの言葉で、だったら私が元気に楽しく精一杯生きることが、最大の恩返しなんだと思うことができるようになりました。
「皆さんから出されたものが話の中に全部出てきましたね。自分も感謝しているけど、ドナーさんも感謝している。生かされているからとか、役に立つとか、使命とか、加藤さん、仲間はどうですか。」
仲間もですね。移植は少ないので、新聞に載りました。そうしたら病院に、膵腎同時移植を受けている患者さんが会いに来てくれました。もちろん初めてお目にかかる人ですけど、私も同じ移植を受けています、よろしくお願いしますということで、今では大親友です。同じ仲間ができたことも、気持ちを共有できるということでよかったです。
「先ほど、相手が分かった方がいいという意見がありましたが、相手が分かった方がよいか、近くで相談してみてください。」

「すごく難しいです。2人分生きている感じがするので、分かってもよいかなと思います。」
「迷いますが、知りたいと思います。」

20220520omoshiro_image11「加藤さん、どうして日本ではドナーの名前を教えないのか、皆さんに教えてください。」
いろいろな人がいるからです。そんなことはないにこしたことはないのですが、私どもは元気になって相当の感謝をもっています。こんなに元気になったというご挨拶をさせていただいた時に、何か見返りをくれと言われたらどうするか、法律上の話になります。その他には、私たちは、免疫抑制剤などたくさん薬を服用しています。自分じゃない命を、薬を飲まないと攻撃されてしまうので、一緒に生きるためにいろいろな薬を飲んでいます。それによる副作用もあります。それがいやで薬をやめてしまう人もいます。せっかくいただいた命なので、大切にしないといけないんですが…。いろいろな事情で素性を知ることができません。ただ、手紙を出すことはできます。臓器移植ネットワークに手紙を書いて渡します。そうするとネットワークさんは、ドナーファミリーに確認をとってくれます。手紙がレシペントから来ました。受け取りたいですか。受け取りたいと言ったら渡してもらいます。思い出したくないからいらないわと言ったら渡りません。逆もあります。ドナーファミリーから手紙が届いて膵腎同時移植の人にお返事を書きました。渡してもらえますかということも可能ではあります。なので、私がこんなに元気だと言うことを、私がどこのだれか分かりませんし、ご家族もだれか分からないけれども、ご家族が拒まなければお知らせする手段はあります。
「加藤さんは感謝の気持ちを伝えていますか?」
はい、毎年、命日近くに手紙を出しています。
「学校ではこんな感じで授業をやっています。本当によくない授業は、はい、命を大切にしましょうねというふうに終わってしまう授業です。せっかくの話を台なしにしてしまいます。この後は、子どもたちに、今日の授業を受けて感じたことを書かせて、授業の振り返りをさせて終わっています。皆さんの感想を聞いてみたいと思います。近くの方と授業の感想を話し合ってください。」

「自分の祖父のことを思い出しながら聞いていました、祖父は認知症で、いろいろな検査をしたり、透析をしたりしています。おまえが結婚するまで生きると言ってくれます。言っている言葉の意味の強み、思いの強さ、生きることの大事さを別の角度から感じた授業でした。」

「こうして自分に置き換えていく。こうやって授業を受けてくれると本当にうれしいです。自分の生き方を振り返ってくるんですね。」

「つなぐというのは、人と人の間をつなぐこと。コロナだからよけい感じます。亡くなった方のことを自分の中でしっかりとらえて、自分はどう生きていくのか考えて行動しないといけないと思いました。」
「ゲストティーチャーに話してもらえて本当によく分かった。」
「母親が脳死の状態になったが、当時は臓器移植がなかった。母親がドナーとなっていたら、幸せになっていたと思います。」
「物事の深み、単純ではないできごとを考察したり、みんなで話し合ったりしていきたい。」
「日頃は、生きることを考えるだけですごいことだと思います。自分が一生懸命生きることだけではなくて、移植ということを通して、生かされているということを改めて深く問い直すことができた授業ではなかったかなと思います。感謝をしたいと思います。ドナーさんの立場では、役に立ってくれてありがとうという感謝の気持ちであり、分からないドナーさんに対して、分かりたい気持ちはあるんですけど、私の命をつないでくれてありがとうという感謝の気持ちでもあるという内容がよく分かりました。自分が一生懸命生きることが社会への感謝であり、人への感謝であり、自分の周りの人への感謝の気持ちの表現かなと改めて強く思いました。」

20220520omoshiro_image12「最後に加藤さんからメッセージをもらいたいと思います。」
すごく今日は勉強になりました。自分のことなので客観視できない部分もたくさんあるんですが、皆さんに聞いていただいて、思ったことを教えていただいたことは、私にとってすごく宝物になりました。たくさん聞いていただいて、たくさん考えていただいて本当にありがとうございました。
感想を紹介します。

○移植を受ける側だけじやなくて、ドナーさんにも人生があり、簡単にお互いの人生を受け入れられる訳ではないことを知って移植の難しさを感じました。「ただ生きる」ということがこれほど単純ではないんだと知ることができたとても深い授業でした。

○実体験のお話はとても深く心に響きました。とてもプライベートなことをお話してくださって本当にありがとうございます。ドナーさんや移植を受けた方、様々なお立場の人への気持ちへ思いをめぐらす貴重な機会になりました。臓器をいただくという分かりやすいカタチではなくても、私たちは祖先から命を受け継いでいるのだなと思いました。

○自分には縁がなかった分野だったので、興味深く話を聞くことができました。ただ、本日の内容だけで知った気にならず、今後はより知識を深めていければと思います。

○移植はこれまで他人事でした。今日の授業でこんな大変なことなんだと思いました。言葉が出ないくらいでした。

○私は普段、勉強会やセミナーなどの催しにはあまり参加をしないんですが、今回の山田先生の授業は、とても奥深くて、正解のない問題を先生と受講生で考え合うという、なかなかの体験できない貴重な授業でした。

○今日は最初から胸の詰まる思いをしながら授業に参加しました。私自身、若いうちに身内を亡くしたこともあり、本当に自分自身、生きながらえてよかったのかという思いが今でも頭をよぎることがあります。それとオーバーラップしました。

○今回は、「いのち」を「つなぐ」、臓器移植について考える授業でした。移植する前には、死も考えたけれど移植して体は元気になった。しかし、幸せではなかった。会う人会う人が元気になってよかったと言ってくれても、自分は誰かの不幸(死)の上に、自分の幸せがあることが許せなかったという気持ちは分かる気がする。しかし、それを乗り越えるきっかけになったのが、ドナーファミリーや医療関係者の前でした感謝のスピーチ。ドナーファミリーから言われた「もらっくれてありがとう。」「あなたが元気にいてくれてうれしい。」という言葉だった。命とは何か、自分にできることは何か、使命とは何かを深く考えることができました。

○本当にすばらしい授業でした。感動でした、涙が出るほどのお話でした、言葉で書けないほど深く考察できた学びの多い授業でした。