平成26年度第1回のアソシア志友館「おもしろ学校」が5月16日(金)19時00分~20時30分に「ウインクあいち」を会場に開催されました。



第1回の講師は江南市立布袋小学校の三浦光俊先生。テーマは「話し合い深め合う詩の世界」でした。
今回取り上げたのは坂村真民の「ふるさとの木の葉の駅」という詩でした。

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ふるさとの木の葉の駅

この駅で
いつも母が待っていてくれた

駅には赤いカンナの花が咲き
車窓にそれが近々と迫ってきた

母のいないさびしい駅を
わたしは 息をのんで過ぎていった
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はじめに先生から詩の紹介がありました。
先生が読むその詩をプリントに書いていきました。
その詩を2回各自で音読した後、今度はグループの人と読み合い、思ったこと、感じたこと、考えたことを話し合いました。

  1. ・ 子どものころ母が待っていてくれた駅を今はいない母のことを思いながらさびしい気持ちで駅を通り過ぎていった。
  2. ・ 久しぶりに駅に帰った。
  3. ・ 話者はどこにいるのかと考えていた。
  4. ・ 赤いカンナの花が印象的でそれが後半の部分と対比されいるのではないか。

以上の発表があった後、先生がいくつかの質問をしました。
「母」は今どうしているか。「亡くなっている」と「どこか遠いところにいる」という2つの意見に分かれました。「いつも」は毎日ですか。「毎日」と「帰ってきたときはいつも」に分かれました。
列車は停まったか。「停まった」と「通り過ぎた」に分かれました。


次に、対比されている言葉を探しました。
  1. 1 迫ってきた-過ぎていった
  2. 2 待っていてくれた-過ぎていった
  3. 3 いつも-駅
  4. 4 この駅-さびしい駅
  5. 5 2連-3連
  6. 6 駅-母
  7. 7 木の葉-赤いカンナの花
  8. 8 母が待っていてくれた-母のいない(過去-現在)
  9. 9 母-カンナの花
  10. 10 赤いカンナの花-さびしい駅


上のように10の対比が出されました。
それを受けて「この中で一番大切な対比はどれですか。」と質問があり、プリントに自分の意見を書いた後、グループで話し合いました。


  1. ・ 迫ってきた-過ぎていった 時間と場所の対比を感じた。迫ってきたのに過ぎていった。
  2. ・ この駅-さびしい駅 題名が「ふるさとの木の葉の駅」だから。
  3. ・ 話者の視点で考えるのと、駅の視点で考えるのがある。
  4. ・ 待っていてくれた-過ぎていった 動きがある
  5. ・ 赤いカンナの花-さびしい駅 赤いカンナの花が印象的 カンナが母で駅が今の自分

選んだ人数を調べたら、どの対比も支持者がいましたが、「赤いカンナの花-さびしい駅」を一番多くの人が支持していました。

それから、各連ごとの話者の位置を検討しました。
線路と駅の図を書き、1~3連の話者の位置はどこかを考えました。
まず各自で考えました。
次にそれをグループで話し合い、グループの意見を決めました。



決まったグループから前に出て図に書き入れていきました。
始めに3連の位置を検討しました。
3連は「過ぎていった」という言葉から駅を過ぎた当たりで落ち着きました。
次に2連の検討をしました。


  1. ・ 「迫ってきた」だから駅がみえてきたところ。
  2. ・ 駅に停まる寸前のところ。
  3. ・ 駅に停まっているんだけど、そこに母はいなくて、いろいろな思い出がパーッと頭にひろがっている。赤いカンナの花が駅に咲いている。「近々と迫ってきた」というのは距離が近づいてきたのではなく、いろいろな思いが目の前に迫ってきたという感じ。
  4. ・ 駅に停まっている。赤いカンナの花も咲いていなくて、母との思い出とともに赤いカンナの花も頭の中に広がっている情景だと思う。1連も2連も実際の情景ではなく、頭の中の情景だと思う。
  5. ・ ふるさとにいない息子がふるさとに帰ってきた。ふるさとには赤いカンナの花が咲いていたなと思っている。


次に1連の検討をしました。
1連が駅の中にあるという意見を聞きました。

  1. ・ 毎年夏に帰ってくる。いつもカンナの花が咲いている。母がいつも待っていてくれた。母が亡くなり、今回は、木の葉の時期に帰ってきた。そこで、いつも母が待っていてくれたこの駅のことが頭の中にいっぱいに広がっている。
  2. ・ 1連だけは時間や場所が違う。


連の位置を検討することで参加者それぞれの頭の中に、イメージが浮かんできました。
次は、そのイメージを文章化しました。
紹介します。



わたしが故郷へ戻ってきたのは,もう何年ぶりになるだろう。母が亡くなったのが、7年前だから,3、4年にはなる。
今回わたしが戻ってきたのは、中学時代の友人と会うためだ。
隣町に住んでいる彼のところへ行くために、急行に乗り、わたしはふるさとの木の葉の駅のことを思い出していた。
駅のプラットホームの片隅には赤いカンナの花が咲き、その花を見ると、帰省する度に母が迎えに来てくれていたことを思い出す。駅が近づくと赤いカンナの花が目に飛び込んできた。
それがどんどん近づいて車窓のきわまで来たときに、亡き母への思いが募り、わたしは息をのんで過ぎていった。

「赤いカンナの花」と「木の葉」の対比がずっと気になっていました。
カンナの花は母のいた頃(生)を表し、木の葉は母の亡くなったこと(死)を表しているように思いました。
そのため「息をのんで」という表現からは,あふれてくる母との思い出、母への思い、それこそ、次々と迫ってくる思いをぐっとこらえて母の死に対する悲しみに耐えようとする気持ちだと思いました。

いつも帰省するたびに降りたなつかしい駅。
赤いカンナの花は、夏に帰るときはいつも咲いていた、母がいたころを彷彿させる思い出の花。
それを今はなき母を思い木の葉の駅を通り過ぎるとき、切なさに息をのむという情景が浮かび、ふるさとの駅が、母への慕情をかきたてる様を感じました。

最後に作者の紹介がありました。作者は坂村真民。熊本県生まれです。
そして、真民の故郷の近くに「木葉(このは)」という駅が実在するのです。