あの「東日本大震災」からもう5年が経ちました。2 0,0 0 0人を超える死者、行方不明者を生じたのです。
志友館として何かお役に立ちたいと思い、「チャリティーコンサート」も行いました。
皆さんからたくさんの募金もいただきました。気仙沼へも足を運びました。
このような中で、各方面ではさまざまな取り組みが成されました。
それでも今なお不自由な避難生活を送っている方が、福島県では10万人近くいらっしゃるという。
津波の被害があった被災地はやっとがれきの処理に手が付いたところだという。
あの日、テレビから写しだされる真っ黒な波は忘れる事はできません。
自分たちで何かできないものかと思われた人はたくさん見えたと思う。
あれから、もう5年(まだ5年)が経ちました。自分は何が出来たのだろうか。
今年1月に福島に行った。今年志友館の仲間に声をかけ、もう一度福島へ出かけてみようと思う。
何も出来ないかもしれないけれど、この目でしっかり見てこようと思う。
そして福島の人と話して来よう。
誰にも「ふるさと」がある。もし自分の「ふるさと」が福島だとしたら、もう何度も福島へ飛んだと思う。
そのような自分を想像しながら、「もうひとりの自分」が自分を問い正す。
昭和34年9月この地方を襲った「伊勢湾台風」では、5,0 0 0人を超える死者と行方不明者を出していると
「記録」されている。
アソシア志友館 理事長 柴田 秋雄
(2016.5.1発行 アソシア志友館しんぶん「絆」第50号より )