カレンダーの4日目に書いた言葉。自分が精魂込めて作ったものを壊すには勇気がいるものだ。でも、あえて壊すことから、すべてが始まると思う。そこから、「創造的破壊が始まると思う。言葉では簡単だけれど難しいことだ。果たして、自分がどれだけできるだろう。ホテルで生き方の多くを学んだ。働き方を学んだ。その中から今の生き方があるように思う。自分の人生の中で最高の職場であり、最高の瞬間でもあった。昭和58年6月から平成22年9月まで、私は多くのことを学んだ。「ホテルアソシア名古屋ターミナルで働いた20年間だったと思う。逆にホテルでの経験がまったくなかったことが幸いした。だからホテルの常識を簡単に変えることが出来たとおもう。ホテルの常識がない無学な自分が、かえって幸いしたかも・・・・・。
あれから6年の月日が流れた。今も、当時の仲間が訪ねてくれる。一瞬のうちに当時に時間に戻るから不思議だ。和菓子の恵那川上屋さんもそのひとりだ。「栗きんとん」を見るたびに思い出す。「岐阜県からは出ない」と決めていた会長を説得、何としてもホテルで売りたかった。その願いも適い実現した。名古屋ではうちのホテル以外買う事ができない商品となった。お米は、津市の横山さん以外使わない。野菜は、津島市の長谷川さん。いつの間にか、決まっていた。もう家族同然である。ホテルには業者という言葉は死語となっていた。長谷川さんのトマトの最盛期は、ホテルのスタッフが長谷川さん宅に入り浸り。秋の収穫期には、津市の横山さん宅へ。そして、1年を通してホテルスタッフが通ったところが、長野県飯田市にある「トンキラ農園」。いつの間にか自分の家のようになっていた。みんなで囲むいろりが、無性に温かかった。ある時には、「味噌づくり」にも挑戦した。自分の家に帰ったように「ただいま」と言うようにもなっていた。岡本さん、京子さん、ありがとう。
ホテルの仕事をしながら、素敵な出会いがたくさん待っていてくれたものだとつくづく思う。
アソシア志友館 理事長 柴田 秋雄 (2017.4.1発行 アソシア志友館しんぶん「絆」第61号より )