平成二十五年、「巳年」が幕を明けました。
巳年は「起こる」とか「始まる」といった意味を持つといわれている。
いわゆる、親から子へ、子から孫へ—–。「受け継がれる」意味を持っていると
私は思う。
昨年、とても感動する体験をした。私の大切な友人の家を訪ねた時の事である。大変
失礼な言い方で申し訳ないですが、その家は決して大きくも無く、ごく普通の私の家
同様、ありふれた小さな家である。
部屋に通されて、小さなちゃぶ台の前に座った。ふっと、目の前の小さな整理タンス
に目をやって、整理ダンスの上にあるものを見て驚いた。整理ダンスの上に「小さなお
位牌」が置いてあった。前には一輪の花が飾ってあり、横には、御飯が供えられてある。
壁には両親と思われる写真が貼ってある。その写真から、お父さん、お母さんの位牌だ
ということが分かった。毎朝小学生の男の子が、当番で温かいご飯を供えていると、そ
の母親はそっと教えてくれた。
その親子が毎朝揃って、手を合わせる姿が目に浮かんだ。温かいものが込み上げて
来た。なぜか涙が止まらなかった。親子がとても輝いて見えた。
どんなに立派な、豪華な仏壇よりも、大きな仏壇よりも、光り輝いていた小さな
位牌であった。きっと、この親子は天国から、ご両親が見守っていらっしゃると
思った。何気ない風景ですが、今の世の中、忘れ去られてた景色のように思われ
る。「絆」が叫ばれている近頃、思い出してほしい景色である。

何時ごろからか定かでないが、「本家」「分家」という言葉があり、新しく家をか
まえた分家には、仏壇(位牌)が無くなっていた。だから、自分の家の中に、「手を合
わせる場所」が無くなっていた。「祈り」の場所が無くなっていた。子どもが、学校に
行く時、遊びに行く時、そっと仏壇に手を合わせ、外に飛び出す姿は、今は見られな
い。寂しい限りである。「古希」を迎える齢になったから、このような事を思うのでしょうか。

でも、今、自分があるのは、何代もが繋がっているから、今があることを忘れてはいけない
と思う。これから、たくさんの家に、仏壇と、祈りの場所が誕生することを心から願う。
私も、今年の「初詣」、心も新たに「手を合わせよう」と決意して、氏神様の鳥居を
くぐろうと思っている。
志友会代表 柴田 秋雄