【活動報告】令和5年度 第1回おもしろ学校にて

5月19日(金)に令和5年度の第1回のおもしろ学校を行いました。
講師は、岩倉北小学校の高橋宏滋先生です。
国語で、テーマは「やっぱり深い絵本の話」でした。

まず、アイスブレイクとして、隣同士で、印象に残った絵本の話をしました。
次に、本日の授業で取り上げる絵本「100万回生きたねこ(佐野洋子 作・絵)」の高橋先生の朗読を聞きました。参加者のほとんどの人が一度は読んだことがある絵本でした。
20230519omoshiro_01
20230519omoshiro_02最初の指示は、「ねこが、(  )、(  )話」と絵本の要約をすることでした。
参加者からさまざまな要約の発表がありました。
・  100万回生きたねこが、100万回目の人生で大切なことを知った話
・  ねこが本当に愛する人に出会えた話
・  ねこが何度も生きて幸せな生活を見つけた話
・ ねこが100万回生き返った後で本当の幸せを見つけた話
・ ねこが初めて泣いた話
・ ねこが何回も生きて多くの経験をして悲しさを知った話
・ ねこが100万回生まれ変わって愛するねこに出会えた話
・  ねこが生きる喜びを知った話
・  ねこが感情をもった話
・ ねこがトラ模様だった話
「幸せ」「愛」「喜び」「悲しみ」がキーワードになっています。
20230519omoshiro_03次の発問は、「初めの頃と比べて、愛を知ったり、幸せを見つけたり、悲しみを見つけたりしてねこは変わりました。ねこが変わったところを4か所見つけてください。」でした。
参加者から、7つの意見が出されました。
① 自分のねこになって、自分が好きになったところ
② 白いねこに出会ったところ
③ 「そばにいてもいいかい。」という感情が生まれたところ
④ 自分より好きな家族ができたところ
⑤ 初めて悲しみを知って泣いたところ
⑥ 愛を知り、未練がなくなったところ
⑦ 変わっていない
20230519omoshiro_04続いての発問は、「①~⑦の中で、一番大きく変わっているところはどこか、変わっていないとするとどのような説明が成り立つのかを考えてください」でした。

挙手をしたところ、参加者で一番多かったのは④でした。近くの人と話し合った後、全体で意見を出し合いました。意見を出し合う中で、高橋先生から「この物語は、ハッピーな変化かアンハッピーな変化のどちらが話の中心なんだろう」「白いねこは、ねこを愛していたんだろうか」「ねこは幸福だったんだろうか」という問いが出されて、話し合いを深めていきました。
20230519omoshiro_05「ねこが幸福だと思ったらパーを、そうでないと思ったらグーを出してください」という問いに対して、全員がパーを挙げました。幸福だと考えたわけを発表しました。
・ねことして感情をもって死ぬことができたから幸せだった。
・幸福だと思えなくなってきた。愛する人に会いたかったら生き返るはずなのに生き返らなかったから。
・悟りの境地、生きている者は必ず死ぬ。そういう経験ができたことはよかったから。
・自分の人生に満足し生ききっている。自分もそうでありたいと思ったので幸せだった。
20230519omoshiro_06この絵本を読んで高橋先生が愛や幸福について考えた①~⑦の中で、⑥について意見を発表しました

① 愛する人と愛される人ではどちらが幸福か?
② 愛されなくても誰かを愛する人は幸福か?
③ 愛する人を喪っても幸福になれるか?
④ 自分一人だけで幸福になれるか?
⑤ 努力すれば幸福になれるか?
⑥ 幸福は過去・現在・未来のどこにあるか?
⑦ 無条件の絶対的な幸福はあるか?
・ねこは「そばにいていいかい」と白いねこに尋ねました。その時の自分の気持ちに気づいて、どうしたいかを素直に正直に言っています。幸福は、今その時その時の現在にあると思います。
・感じた時が幸せだと思います。感じるのは今なので幸福は現在にあります。過去の栄光を振り返ってあの頃幸せだったとか、5億円が当たったからこの後お金をいっぱい使えて幸せだろうなと思うことは自分の頭の中で考えているだけなのでたぶん幸せではありません。味わった瞬間が幸せだと思うから幸福は現在にあります。
・過去に幸せであっても今辛かったら辛いし、明日飲み会があっても今大変だったら大変なので、今が幸せかどうかが基本となります。
20230519omoshiro_07愛や幸福について書かれているものを、高橋先生から紹介していただきました。
椎名林檎『幸福論』
時の流れと空の色に何も望みはしないように素顔で泣いて笑う君のそのままを愛している故にあたしは君のメロディーやその哲学や言葉全てを守り通します
君が其処に生きているという真実だけで幸福なのです
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。
人は自分の生命(自分の中に息づいているもの、喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、すべてのもの)を与えることで他人を豊かにし、自身を活気づけることで他人を活気づける。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。
桜井和寿『名もなき詩』
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの
有島武郎『惜しみなく愛は奪う』
愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪っている。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
本当にいいことをしたら、いちばん幸せなんだねぇ。
幸福論   若松英輔
闇にあるとき 人は/もっとも 強く/光を感じる そう/言った 人がいます
あなたが わたしの/心に 残していった/この 暗がりも/光との 出会いを/準備する/ものなのでしょうか
でも わたしは/薄暗い 場所で/あなたと いられれば/それで 十分だった
明るいところで/ひとり/何をしろと/いうのでしょう
山のあなた  カール・ブッセ 上田 敏 訳山のあなたの空遠く/「幸」住むと人のいふ。/噫、われひとゝ尋めゆきて、/
涙さしぐみ、かへりきぬ。/山のあなたになほ遠く/「幸」住むと人のいふ。
山口尚『幸福と人生の意味の哲学』
私たちは普段そこに目を向けることがないのですが、それでも、いわば私たちを待ちうけるような仕方で、ある超越的な「幸福」はいつもそこにあるのです。
「すべてはあるがままにある」という境地の幸福は、私たちがそこへ目を向けるか否かにかかわらず、そしてそもそも人間の個別的行為の如何にかかわらず、個々人を「超えた」仕方で、つねにすでに私たちを包み込んでいます。
佐野洋子『シズコさん』私は、母さんがこんなに呆けてしまうまで、手にさわった事がない。四歳くらいの時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決意した。その時から私と母さんのきつい関係がはじまった。
私は老人ホームのベッドの中で、自然に母さんのふとんをたたいていた。
「ねんねんよう、おころりよ、母さんはいい子だ、ねんねしな。」
母さんは笑った。とっても楽しそうに笑った。
そして母さんも、私の上のふとんをたたきながら「坊やはいい子だ、ねんねしな―。それから何だっけ?」
「坊やのお守りはどこへ行った?」
「あの山越えて、里越えて」とうたいながら私は母さんの白い髪の頭をなでていた。そして私はどっと涙が湧き出した。自分でも予期していなかった。
「ごめんね、母さん、ごめんね。」
号泣と言ってもよかった。
「私悪い子だったね、ごめんね。」
母さんは、正気に戻ったのだろうか。
「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ。」
私の中で、何かが爆発した。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう。」
何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけたようにとけていった。湯気が果てしなく湧いてゆくようだった。
私は、五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。
私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった。
私は何かにゆるされたと思った。世界が違う様相におだやかになった。
私はゆるされた。何か人知を超えた大きな力によってゆるされた。
私は小さい骨ばかりになった母さんと何度も何度も抱き合って泣きじゃくり、泣きじゃくりが終わると、風邪が治った時の朝のような気がした
車窓   若松英輔
電車で/並んで座り/だまったまま
風景を/見つめていた/あの日
あれが/わたしの/ずっと/探していた/幸せだった
いまになって/ようやく/気がついた
かけがえのない/消えることのない/永遠のとき
感想を紹介します
○正解はないのでしょうが、皆さんの考えを聞いているうちに自分の心と向き合っているような気持ちになりました。今年大事に育てたねこが死んでしまったので、よけいにいろいろと考えてしまいました。
○「100万回生きたねこ」を使って、こんなに深く話し合えるのだと感動しました。ねこの人生は幸福だったと思い込んでいたところに「本当に幸福だったと言えるのか?」と問い直されて、改めて白いねこの様子を見ていると愛を受けている場面は見受けられませんでした。一方通行の愛は果たして幸せなのかと考えさせられました。もっともっと皆さんと意見を交わしたかったです。最後の歌詞や詩、小説の言葉など、さまざまな角度からの愛・幸福について知ることにより、また深く考えることができました。
○この本は子どもたちに読み聞かせたことがありますが、今回は深く考えることができてよかったです。ねこの人生を通して自分のことを振り返ることもできてよかったです。
○「100万回生きたねこ」は大好きな絵本であり、先生のお話のもと、とても心の深いところまで考える機会や気づきをたくさんいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。大人になってからも学ぶことや気づかされ感動する本がありますが、この絵本はまさしくその絵本であると思いました。自分の子どもたちや孫にも読んで、どんなふうに感じるのか聴いてみたいなと思いました。
○ねこが変わったところ、幸福だったのかという問いから深く考えることになりました。他の人の意見も伺えたので視野が広がりました。自分の感想もみんなの前で話せてよかったです。