【活動報告】令和6年度 第1回おもしろ学校にて

5月17日(金)に令和6年度の第1回のおもしろ学校を行いました。
講師は、元フランクフルト日本人国際学校の三浦光俊先生です。
国語で、テーマは「文学を味わう」でした。
20240517_01まず最初に4人のグループをつくって自己紹介をしました。自己紹介後、中学校2年生の国語の教科書に載っている三浦哲郎著「盆土産」を4人で順番に1段落ずつ読みました。
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「盆土産」を読み終わった後、班で、感想や分かったこと、分からなかったことを出し合ってから、各グループで話し合いたいこと1つ決めて意見を出し合いました。
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それぞれのグループで何を話し合ったのか発表しました。ズーム参加者も話し合って発表しました。
<時代背景>
・電話ではなく速達、えびフライを知らない、給食で鯖フライ→昭和30年頃より後か
・出稼ぎがキーワードで高度経済成長、オリンピックの頃か
<経済的状況>
・小さい墓や食事の様子から経済的には苦しい
<地域>
・上野から8時間だから青森か
・夜行で8時間だと東北の岩手か
<父親の愛情>
・えびフライというおいしいものに出会ってカルチャーショックを受けた。ぜひ家族に食べさせたいと思った。
・子どもの年齢から考えると、母親の七回忌になるので、帰れないと言っていたが帰ってきた。
<父親は何を言いたかったのか>
※最後から2つ目の段落「父親は、まだ何か言いたげだったが、……」
・家族に本当に伝えたいことがあった。重い病気?新しいお母さん?帰ってこられなくなる事情?

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三浦先生より話し合う内容が5つ示されました。挙手をして一番多かった4番の題名について話し合うことになりました。各自で考えた後、グループで話し合いました。

1この作品の時代はいつか
2語り手はだれか
・小3の少年 ・小3の少女 ・大人になった少年 ・大人になった少女
3父親はなぜ「えんびフライ」に驚いたのか
4題名は「えびフライ」でなく「盆土産」なのか
5父親はこの後帰ってきたか
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なぜ題名を「盆土産」にしたのか、話し合ったことをグループごとに発表しました。
・「えびフライ」は父の土産の中の一つだから。
・祖父や母親は食べただろうかと家族に視点が向いているから。
・帰る予定ではなかったが、生きていれば食べさせてあげられたのにと母親のことを思いながら選んだおいしいえびフライだったから。
・六匹のえびフライは、祖父と母親の分も入っている。父親目線だと自分はお盆に帰ってきたよという「盆土産」になる。
・えびフライは祖父と母親の分もある。迎え火をすると2人の霊が帰ってくる。祖父と母親の分は子どもたちに食べさせる。命をつなぐことになる。
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題名について、三浦先生より説明がありました。
「明日はもう盆の入りで、殺生はいけない」
「明日からは盆で、精進しなければならない。」
「まだ田畑を作っている頃に早死にした母親は、あんなにうまいものは一度も食わずに死んだのではなかろうかーそんなことを考えているうちに、なんとなく墓を上目でしか見られなくなった。」
  ↓
苦労して「早死にした」母親への感慨、母や祖父への鎮魂の情
  ↓
「盆土産」は単なる「お盆の帰省の土産」ではない
  ↓
死者も生者も含めた本当の家族の絆をあらわしている
この作品の時代についての三浦先生の説明
東京の上野駅から近くの町の駅までは、夜行でおよそ8時間かかる
冷凍食品、えびフライ、赤いスクーター、油とソースを買っておけ、囲炉裏、
バスの車掌(昭和49年、ワンマン化率64%)、出稼ぎのピークは昭和47年
冷蔵庫の普及三浦哲郎 1931(昭和6)年 青森県八戸生まれ
時刻表
昭和39年 昼行特急「はつかり」9時間 
      上野ー八戸 夜行特急「はくつる」10時間
昭和43年 昼行特急「はつかり」7時間23分 
      上野ー八戸 夜行特急「はくつる」7時間58分
加ト吉
昭和37年 冷凍エビフライの製造開始
昭和43年 家庭用冷凍食品エビフライ発売
昭和46年 1箱6尾の大型エビフライ発売この作品の時代は昭和47年の可能性が高い

「父親がこの後帰ってきたか」についての三浦先生の説明
三浦哲郎の「出稼ぎ」をモチーフにした作品が18作品、「盆土産」は17作品目
「盆土産」に描かれなかった未来を他の作品から推測する他作品で描かれていること
・出稼ぎによって離ればなれになってしまった家族の心。
・都市の文化や価値に染まっていく父親
・父親の変化におびえる子どもの不安な心
・村に残される妻
・親を奪われ捨てられた子供らの悲劇
・都市に居場所を見出せず、かといってもはや村の生活に戻ることもできない出稼ぎ労働者の疎外感1964年の12月23日の読売新聞夕刊の記事
「お正月はどこにいる」
家出した母親、出稼ぎに行って音信不通の父親を探すため、青森の小学生の三姉妹が上京し、補導された記事。警察の調べで父親の居場所はすぐに見つかり、24日に4人は再開し、ともに帰郷する。しかし、直後に父親は病死し、三姉妹は孤児になってしまう。この三姉妹の境遇、動向はメディアの注目するところとなる。
三浦哲郎の作品にも同様の境遇を描いた「付添い」がある。(1979・3)「盆土産」1979・10発表
感想を紹介します
○作品をどう読むのかを考えさせていただき、「何かを教わる」だけでなく、「自分たちで考える」楽しさを教えていただきました。
○一つの文学作品の中からキーワードを選び、そこから思考を深めることで、さまざまなことが分かることに感動しました。グループで読んで、自由に話し合いをする場面も、深い読み取りを聞く場面も楽しかったです。
○中学校でやったことをすっかり忘れていましたが、当時とは違う視点から得た知識と一緒に思い出せてとてもおもしろかったです。文章から読み取って推理することが好きなので、たくさん話し合えて楽しかったです。
○「盆土産」を読み味わい、グループで交流する中で、自分の中にはなかった考えや視点が生まれました。一人で読んでは疑問に思わなかったような点をたくさん勉強させていただきました。
○文章を読み解くことが苦手でしたが、先生の授業を受けると国語の授業のおもしろさに気づかせてもらえるのでいつも感謝しています。
○小説の中の弟は自分と同じ年頃で、子どもの頃のクリスマスは、生クリームのケーキはほとんどなく、近所のパン屋のバターケーキばかりだったと思い出しました。題名を「盆土産」としているのは、えびフライが一番の土産ではなくて、帰ってくるはずのない父親が一泊でも帰ってきてくれたことが一番うれしい亡き母からの盆土産ではないかと思います。そしてもし母親が生きていてくれたら、えびフライよりジャッコを炙ったもので十分だと思ったんじゃないかと感じました。