6月7日(金)に令和6年度の第2回のおもしろ学校を行いました。
講師は、岩倉市教育委員会の高橋宏滋先生です。
国語で、テーマは「古(いにしへ)を念(おも)ふ」でした。

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最初の質問は、「万葉仮名で情景が詠まれている柿本人麻呂の歌から何が見えますか?」でした。
近くの人と話し合った後、発表しました。
「夜明け、月、山、野原、太陽、光、空、かげろう、人……」
「朝、夜明け頃、場所は野原、季節は春か夏……」

東野炎立所見而反見為者月西渡
漢字仮名交じり文
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかえり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
※「かぎろひ」とは、良く晴れた厳冬の早朝、日の出の約1時間前に東の空を
彩る陽光のことである。(奈良県・宇陀市観光協会)
教科書(中3光村図書)では
東の方の野にあけぼのの光が見えて、
振り返って見ると、月は西に傾いている。
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次の質問は、「東から昇ろうとする太陽と西に沈もうとする月は、何を表しているか対比してみまょう!」でした。
周りの人と話し合ってから発表しました。
「生と死、これから隆盛を迎える者と衰退する者……」
先生から対比について説明がありました。
「陽と陰、動と静、若さと老い、生と死、始まりと終わり、開くと閉じる、盛と衰、明と暗、男性的と女性的」

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太陽と月を対比した後で、「東の方の野にあけぼのの光が見えて、振り返ってみると、月は西に傾いている。」という歌には、雄大な情景だけでなく隠された意味があるのではないかと、先生から問いかけがありました。

先生の説明です。
柿本人麻呂は天武・持統天皇時代の宮廷歌人でした。宮廷歌人の役割は言霊の霊力で思いを現実化することです。持統天皇の悲願は、病死した息子の草壁皇子に代わって、孫の軽皇子に皇位を継承させることでした。「東野炎立所見而反見為者月西渡」の歌の「炎」は、軽皇子または天武天皇を、「月」は草壁皇子を表しています。持統天皇に命じられた柿本人麻呂が、言霊の霊力で草壁皇子を鎮魂し、同時に軽皇子に天王霊を受霊させる大嘗祭としての意味がありました。

漢字学者の白川静氏の「初期万葉論」の中の解釈
①軽皇子に皇位を継承したい持統天皇は、密かに継体受霊の儀式を計画し、柿本人麻呂に命じた。
②儀式は、冬至前後の早朝に実行された。冬至は、陰と陽、生と死が転換する日であり、再生を意味するからである。
③場所は、阿騎野が選ばれた。阿騎野は、異郷的な仙郷で霊の棲処と考えられる幽界ととらえられていた。
④旅人を装い、阿騎野で野営した軽皇子と柿本人麻呂は、東にかぎろひが立ち、西に月が傾く情景を見た。その日は、西暦692年(持統6年)陰暦11月17日(太陽暦12月31日)だろう。
⑤人麻呂は、ここで長歌1首と短歌4首を詠み、持統天皇の悲願を言霊の霊力で現実化しようとした。
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歌に隠された意味について説明があった後、更に納得できない疑問点が先生より出されました。
持統天皇と柿本人麻呂は、なぜ阿騎野を選んだのか?
天皇霊を軽皇子に受霊させる言霊の儀式は、なぜ阿騎野で行われなければならなかったのか?
なぜ阿騎野を選んだのか、周りの人と話し合ってから発表しました。
「盆地だから、山に囲まれていて安全でから、壬申の乱で天武天皇が立ち寄った所だから、代々行っている霊的な聖地だから、秘密に行わないといけないから……」

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なぜ阿騎野かというの疑問に対して先生から5つの仮説が出されました。それぞれの仮説の説明の後、参加者が、あり得ると思ったらパーを、あり得ないと思ったらグーを出して自分の考えを皆に伝えました。
仮説1
持統天皇にとって、阿騎野は天武天皇や草壁皇子との思い出の地である?
壬申の乱における、大海人皇子(天武天皇)鸕野讚良(持統天皇)と草壁皇子の進軍ルートにあたる。
勝利を祈願をした阿紀神社がある。
    ↓
ある…9人、ない…6人
仮説2
冬至の朝、阿騎野から見て、太陽が昇る方角に秘密がある?
太陽の昇る方角には、神武東征で上陸した錦湾がある。
阿紀神社の東には、伊勢神宮が、西には、神武天皇が初めて都をつくった跡地に造られた橿原神宮がある。
    ↓
ある…9人、ない…6人
仮説3
阿騎野は、古事記・日本書紀にも記載されている「神武天皇ゆかりの地」である?
神武東征の際、大和に入る前に宇陀に入ります。神武に従わなかった支配者が多くの血を流したため血原という地名が残っています。
神武天皇が陣をはった最初の城と言われている宇陀の高城、神武天皇が戦勝を祈願してお手植えなさった桜実神社の八房杉など、神武天皇にゆかりのあるものがたくさんあります。
    ↓
ある…8人、ない…8人

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仮説4
阿紀神社と伊勢神宮には、深いつながりがあった?
阿紀神社の社殿は、西向きの造りで西向きに建っています。阿紀神社で祈れば、伊勢神宮を拝むことができます。神武天皇はここに天照大神を祀り、大和制圧を祈願しました。
阿紀神社は天照大神が伊勢神宮に遷る前に最初に降臨した場所です。
    ↓
ある…13人、ない…3人
仮説5
阿騎野は、不老不死の神仙郷である?
神仙思想…古代中国で,不老長寿の仙人・神人の実在を信じて,自分も仙術によって仙人・神人になろうと願った思想
不老不死になる方法は、薬を飲むか訓練をするかでした。不老不死の薬は水銀でした。大和水銀鉱床群があり、水銀と朱の原料となる「辰砂」がとれました。
日本で最初の薬猟の記録があり、森野旧薬園がありました。
製薬会社のアステラス製薬、ロート製薬、ツムラの創業者は、宇陀市出身です。
    ↓
ある…7人、ない…9人

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ここでもう一度、「炎(かぎろひ)とは何だったのか?」という問いが出されました。
江戸時代の国学者の賀茂真淵は、「東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ」としましたが、賀茂真淵以前は「あづま野のけぶりの立てる所見てかへりみすれば月傾きぬ(月西渡る)」としていて、「炎」は「けぶり」でした。
万葉集の中では、「かぎろひ」の後は、「燃ゆ」が続き、「けぶり」の後は、「立つ」が続いています。
人麻呂が見た「炎」は、「けぶり」だったのではないか?「炎」が「けぶり」だとすると、
東の方角に見えたのは、何の煙なのか?阿紀神社の東には、大和水銀鉱山跡があります。
その鉱山から出ていた「けぶり」を見たのではないでしょうか?

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5つの仮説のうちどれが有力かを周りの人と話し合った後、本日のまとめがありました。
参加者からは「どれももっともらしい」という意見が出ていました。
天武・持統天皇は、国家の危機に立ち向かうためにさまざまなことを行いました。
○律令国家体制の確立・首都の整備・「天皇」の創出
○国家の歴史を創出 = 古事記・日本書紀を編纂
・建国神話の創造 = 天照大神の誕生
・天皇を天照大神の直系子孫へ = 天皇の神格化
○伊勢神宮の創設
・天皇家の祖神 = 国家の最高神
宇陀(阿騎野)は、世俗(政治の拠点、飛鳥)と神祇(祭祀の拠点、伊勢神宮)の境界であり接続点でした。そのため、持統天皇と柿本人麻呂は、阿騎野を選んだと考えられます。

感想を紹介します
○とても興味深く、おもしろい仮説の数々でワクワクしてくる授業でした。かぎろひか?それとも煙か?どちらもありなのではないかと思ってしまいました。そして一つの歌から朝廷だけではなく、朝鮮半島まで語られる見識の広さには驚くばかりでした。
○いつもながら問いの連続で、頭をフル回転しながら考えました。なぜ持統天皇が阿騎野(宇陀)を選んだのか5つの仮説を立てて検証しました。どれも一つ一つ根拠があって、もっともらしくなかなか一つに決められませんでした。柿本人麻呂の宮廷歌人としての役割を知って、この歌に込められた深い意味をより考えさせられました。
○5つの仮説は、すべて正しいと思います。炎が「けぶり」と考えるのは、万葉集では「炎立つ」としか使わないというのは重要なポイントだと思います。天照大神が天武天皇の時代につくられたということや天皇家の歴史もこの時代につくられたということを初めて知りました。
○万葉集のよく知られた歌をとことん深掘りした授業でした。なぜ阿騎野なのかを仮説をいくつも立てて○×で考えながら授業を進められていておもしろかったです。各々の仮説がよく調べられていて説得力があって感服しました。先生の幅広い知識に驚愕しました。よく知られた柿本人麻呂に隠された壮大な秘密に驚きました。
○学校では国語でも歴史でもやらないことを知ることができておもしろかったです。国語で柿本人麻呂の歌をさらっと教えられるのがもったいなと思いました。いろいろな記録から仮説を考えられていてはっとしながら聞くことができて、楽しかったです。