7月10日(金)に令和2年の第2回のおもしろ学校を行いました。
講師は江南市立門弟山小学校の三浦光俊先生です。
国語でテーマは「ごんは男か女か?」でした。

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はじめに段落ごとに順番に読んでいきました。
全文読み終わったところで、「この話はどんな話ですか?ひとことで言ってみてください。」
つぐない、すれ違い、恩返しなどの意見が出ました。

「ごんの行動はただのつぐないでしょうか。」
と言われ、場面ごとにごんと兵十の行動を見ていきました。
行動がわかるところに線を引いていき、順番に発表していきました。

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ごんの一方的な行動ばかりで、兵十はごんを2回しか見ていないことがわかりました。
ただのつぐないで、ここまで通い続けるのでしょうか。このごんの思いは何なんだろう?という思いがわいてきました。

そこで、先生は「もしごんが女性だとしたらどうでしょうか?」と問いかけました。
まさに、これは恋だ。好きな人のために何かしてあげたいという一途な思いだ。そう思いました。

南吉の生い立ちの紹介がありました。
南吉 十八歳の作品
半田中学を卒業して母校で代用教員
同級生の木本咸子(みなこ)と交際
実母を四歳で亡くし、七歳で養子に南吉とごんが重なります。

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もう一度最後の場面に戻り考えました。
「ごんがうなずいた時、ごんは笑顔でしたか?」
多くの人が笑顔だったと答えました。

「ごんと兵十はわかり合えましたか?」
理由を考えて、各自の考えを書きました。
各自の意見を発表しました。
わかり合えたという人が多かったです。

「兵十はこの後何をしたでしょう。」
お墓を作った。
抱きしめた。
懸命に介護した。
などの意見が出されました。

皆さんの意見を聞いた後、先生が次の一文を提示しました。
「これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。」そして、こんな話をされました。

茂平さんは誰から聞いたのでしょうか?
茂平さんの創作でしょうか?

私はこんな風に思います。
兵十はこの瞬間に全てを理解し、そして、ごんに思いを寄せ、この話を多くの人に伝えた。それを聞き、感動した人がまた、多くの人に伝えた。そして語り継がれ、茂平さんの元に届いた。兵十がごんの気持ちをしっかりくみ取ったからこそ、この話は語り伝えられる力を持った。だから、ごんと兵十は分かり合えたと言っていいと思います。

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Zoomでの参加の皆さんです。

感想を載せます。
◯小学校の時に読んだときと今日読んだときでは、感じ方が全く違い自分でも驚きました。授業の途中で、いつから「ごんは男か女か」の題材に入るのだろうと思っていましたが、最後に三浦先生が「ごんは女ともとれるよね」と言われたときに「本当や!」と思いました。

 

◯ごんぎつねの話を深く感じさせていただき、ありがとうございました。ごんは男か女かという目線で見るとおもしろいですね。すれ違いというキーワードも出てきていいですね。「わかり合うとはどういうことか」を考えさせるのは非常に良かったです。「伝えると伝わるは違う」なるほどです。

 

◯三浦先生の授業はいつも問いかけてくる。ラストシーン、兵十はこの後何をしたのですか?茂平というおじいさんから聞いた話から、語り継がれてきた→「わかり合えた」というオチもすばらしい。教材選びと語りかけ、つぐない、同情、関心、愛情、それぞれの場面で、今回は深さを感じました。Zoom参加者の感想もとていいなあと思いました。

 

◯「ごんは女性だったのではないか」この仮説を聞いたときは、「そんなばかな」と思ったが、ごんの兵十に対する行動と、兵十のごんに対する行動を対比してみると、ごんの一方的な思い入れが強いことがわかった。それなら、ごん=女性もあり得る気がした。

 

◯話の最初の一文「これは私が小さいときに…」の部分はいらないんじゃないかと思っていました。「私」がその後一切出てこないからです。しかし、「兵十はこの後何をしたか」の解説ですべての謎が解けて、本当にすっきりしました。一文、一文をしっかり考えて読むと、その物語の意味がちゃんと分かって、よりおもしろくなるなと思いました。

 

◯ごんぎつねは淋しかったんだなと思いました。それは、兵十のお母さんが亡くなり、自分と同じひとりぼっちになってしまったことを知り、それで兵十にできることをして「喜ばせたい」気持ちと「一緒だよ」「淋しくないよ」その気持ちをごんは兵十の家に毎日かよって伝えていたように感じました。最後はわかり合えたと思います。人を想う気持ち、あたたかさをあらためて感じ、味わう時間となりました。