【活動報告】令和3年度 第3回おもしろ学校にて
7月9日(金)に令和3年度の第3回のおもしろ学校を行いました。
講師は元扶桑町立高雄小学校の小栗隆之先生です。
美術でテーマは「やっぱり美術っておもしろい!」でした。
はじめに考える人のポーズを皆でとりました。そういえば小学校の正門横にあったなと思い出しながら、皆が思い思いにポーズをとりました。正解は、「左手は左足のひざの上、右手は左足のももの上、そしてあごの下、顔は下を向いています。」かなり窮屈な姿勢です。
「芸術の陰には女性あり」、授業の前半は、芸術家に影響を与えた女性たちの話です。
近代彫刻の父オーギュスト・ロダンの「地獄の門」の説明です。「考える人の下には、地獄に落ちた人で埋め尽くされています。門の上には番人。次はだれを地獄に落とそうか考えている姿。左下には許されない恋に落ちた2人がいます。この地獄に落とされそうな人物はだれかというと、ロダンの「接吻」に関係のある弟子のカミールです。芸術の陰に女性ありです。」
ロダンがカミールにあてた手紙も紹介されました。「ああ私の女神。私の恋人。君の美しい体の前で僕はひざまずく。なぜアトリエで僕を待っていてくれなかったんだ。今夜僕は君を捜して何時間もさまよい歩いたんだ。」
ロダンの「永遠の偶像」です。「無抵抗な姿勢でひざまずいて女性の胸にほほを寄せる男、ロダンはカミールの前ではまるで子どものようでした。」
棟方志功の妻チヤさんの版画を見ながら、質問が出されました。「内気な棟方志功はどのようにして自分の思いを伝えましたか。 ①自分の結婚式を描いた作品を発表した。 ②新聞に公開のラブレターをのせた。 ③「好きだ」という口コミを広めた」正解はラブレターで、新聞に掲載された内容は「私は貴女に惚れ申し候ご同意なくばあきらめ候」でした。
サルバドール・ダリと妻のガラです。ガラに恋い焦がれていたダリは、作品のサインにガラの名前まで入れています。普通では考えられないことです。
チュッパ・チャプスの包み紙は、ダリのデザインです。ダリの作品は、どこでも買えるんですね。
授業の中盤は、裸の像や絵画の話です。
ミケランジェロの「ダビデ像」です。市長から鼻が高いので直せと言われました。鼻を直したくないミケランジェロはどうしたでしょうか? 「①市長を褒めちぎってごまかした。②粉を落として削ったふりをした。 ③自分の鼻を切ろうとした。」正解は②でした。
ミケランジェロの芸術家としてのプライドでしょうか、権威にも屈しませんでした。
ミケランジェロの「夜」です。実は,モデルは生きた女性ではありませんでした。何をモデルに「夜」を彫ったでしょうか?「①古代の彫刻 ②女性の死体 ③裸の男性」正解は、③です。ミケランジェロは、男性をモデルにデッサンを描いて、乳房だけ想像で付け加えました。この頃は男尊女卑の時代だったので、男性の裸は美しいものだけど、女性の裸は卑しいものという考えがありました。女性を作るということはありえなかったんですね。
「ミロのビーナス」です。「ミロのビーナスの胸は、何カップでしょう。」正解は、Bカップです。身長204cm、日本女性の平均に換算すると、トップバスト94cmアンダーバスト82cmなのでBカップになります。
1964年、東京オリンピックの年に、国立西洋美術館でミロのビーナスの特別展が開催されました。ルーブル美術館を出て海外にミロのビーナスが渡ったのは、日本に来たたった一度だけです。
ゴヤの「裸のマハ」と「着衣のマハ」です。この2まいの絵は、どのように飾られていたでしょう。正解は、「「裸のマハ」の上に、「着衣のマハ」を重ねて飾った。」です。この絵を依頼したスペインの宰相ゴドイの隠し部屋に飾られ、ハンドルを回すと「着衣のマハ」が上にあがって、「裸のマハ」が現われるようになっていました。
黒田清輝の「裸婦婦人像」です。風俗をかき乱すとみなした警察が展示する条件としたのはどれでしょう?「①上から下着を描き加えた ②観客から距離を離した。 ③絵の下半身に布を巻いた。」正解は、③です。結果的に騒ぎが大きくなってしまって、「腰巻き事件」と言われています。
ピカソの作品です。自らを「女の画家」と豪語したピカソが妻ではなく愛人を描いた絵はどれでしょう?正解は、②の「泣く女」です。①は、最初の妻オルガ、③は、二番目の妻ジャクリーヌです。ピカソの本名を知っていますか?「パブロ・ディエゴ・ホセ・サンティアゴ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・サンティシマ・トリニダート、ルイス・イ・ピカソ」です。ピカソは小さい頃体が弱かったので、親が元気な子になるように名前をいっぱいつけていったら長い名前になりました。
ゴッホの「タンギー爺さん」です。背景に描かれているのは、何か分かりますか。「浮世絵」です。
後半は、浮世絵の世界を旅していきます。
歌麿は、美人画を描かせたらこの人の右に出るものはいないといわれた浮世絵師です。歌麿が美人画の絵師としてどれだけ自信をもっていたかということが、「文読み」の左上のところに書かれています。
「近頃蟻のように湧き出した木っ端絵師どもが、色彩を頼りに下手くそな絵を描き異国にまで恥をさらしているのが嘆かわしい。私が美人画の神髄を見せてやる。」
歌麿の自信作が、「白うちかけ」です。今までの美人画とどこが違うのでしょうか?ヒントは、着物をよく見ると分かります。正解は、「輪郭線がない」です。浮世絵は、骨版といってまず輪郭線を刷りますが、この絵には輪郭線がありません。
歌麿が美人画で人気を博していた頃、寛政の時代ですのでいろいろな取り締まりがありました。美人画に「女の名入れ禁止」が出されると、絵から推測できるように「判じ絵」を入れました。その後「判じ絵」までも禁止されてしまいました。
「役者の似絵」を禁止されると、これに対抗して国芳は、「荷宝蔵壁のむだ書」を発表しました。どうして国芳の絵はおとがめがなかったのでしょうか? 絵の中に「むだ書」つまり「落書き」と書かれていたからです。ナイスアイデアです。
授業で紹介された芸術家の一部しか活動報告できませんでした。
講師の先生からいただいた、授業で紹介された芸術家の絵や写真を掲載します。本当に多くの芸術家のエピソードを教えていただきました。
感想を紹介します。
○ コロナ禍で、芸術に触れる気分になれていなかった自分に気づきました。人間には必要な時間があることが分かりました。
○ とても楽しい美術の授業でした。時代の背景や描いた人の歴史を知ると、より興味深く絵を見ることができました。美術館めぐりをした気分になりました。
○ 本当に楽しかったです。美術館に行きたくなりました。できれば先生と一緒に。たくさんの作品とそれにまつわるエピソード。先生の知識、情報の多さによって、このおもしろい授業ができあがっていることを強く感じました。
○ 知らない世界へ連れて行ってくださった先生に感謝いたします。美術の世界って幅広いですし、奥深いです。改めて美術の本などを読んでみたいと思いました。
○ 一枚の絵にはいろいろなドラマがあり、画家とモデルの関係や絵が引き起こした事件など、大変面白かったです。たくさんのクイズを交えながら、テンポよく話を進めていただき、興味深く話を聞くことができました。最近、あまり美術館へ行けていなかったので、夏休みになったら少し行ってみたくなりました。